薬王堂気まぐれ通信使bU46  2011・12・18
Yakuoudo Capricious Communications Satellite

18日、日曜日、自然観察会のメンバーとして大崎下島の御手洗地区に行ってきました。
2年半前にも行きましたが今回は別の視点から見てみましょう。
御手洗は江戸時代の交通手段であった船の中継地点として風待ち、潮待ちの港として栄えた場所です。
歴史は古く平清盛時代から港町として大勢の人がいたようです。
街の中央、山手に満舟寺が有ります。
左に大町港、右に見える島は愛媛県の岡村島です。
右下に御手洗の街並みが見えます。


左は大町の港、右に御手洗の街並み、正面右は愛媛県の岡村島


大町にある宇津神社にお参りしてきました。
ここは正月(一月)に弓を射る祭りがあることで有名です。
射的道場は境内に有りました。
時々、失敗して鉄扉を貫通させています。
県内でも珍しいホルトノキの巨樹が有ります。
ここには宝物館が有り神馬と宮司に許可をもらって中を見せてもらいます。
ずいぶんのお宝が有りましたが撮影禁止でしたので参拝されて拝見ください。
大町港ではミカンの集荷が真っ最中です。
大町ミカンと言えば最高のブランド品です。
1キロ=200円は高いか安いかわかりませんが食べるのは無料!時間が許す限り貪りました。
御手洗には昔からの町並みがそのまま残っています。
島のおじさんが暇仕事に船を製作していました。
千石船の傍におちょろ舟という名の舟が有ります。

気まぐれ広島人:「おちょろ舟とはなんのことですかいの?」

親父:「中にコタツがあって、4〜5人の女衆を沖の船まで運んだ舟のことよの・・・」


中を覗かせてもらいました

気まぐれ広島人:「何時ごろの話ですか?」

親父:「赤線が廃止される昭和33年まであったんよの・・・」


ええっ!つい最近までのことだったのか!
船での交通は明治の中期以降、衰えたものの遊楽街として御手洗は存続したと言います。
平清盛時代から江戸への参勤交代、物資の流通等など、、、坂本竜馬や高杉晋作などもここに立ち寄ったはずです。
港にはおちょろ舟を改造したと思われるミカン舟が現役で運行しています。
歴史の見える丘に登ってみました。


御手洗の街 歴史の見える丘より 中央手前がおいらん公園

おいらん公園を真ん中に左には栄えた街並み、右手は船宿があった地区が残っていました。
ついでながら、女郎衆とかおいらんと呼ばれていた女性の多くは悲運の人生を遂げ、この山周辺に埋葬されたと言われています。
簡単な石積を集積していましたが、その数のなんと多いこと!
正面の岡村島観音岬には女性達が通った祈りの場所があります。
現世に産まれたことを幸せと思わなければいけません。
植物を見ながら大崎下島を後にしました。


正面は来島海峡 右半分が四国 中央辺りは今治市 手前は江戸時代からある千砂子波止 歴史の見える丘から

イヌビワ
サネカズラ
ホルトノキ
クコ
ナギ
ナワシログミ
オリーブ

カンザシイヌホオズキ
シロバナセンダングサ
タンキリマメ
マメカミツレ
ヤブチョロギ

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