薬王堂気まぐれ通信使bU42   2011・11・20
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今日は倉敷に行ってみました。


昔の昔、この地域一帯は浅い海だったようです。
その後、干拓によって潮の出入りを止め、少しずつ人が住めるようになったようです。
入り江の多い倉敷は江戸時代(1600年頃)より徳川幕府の重要な産業地域(米や綿、イグサなどの生産)となり、四国松山藩の物品の出入りする港町としても栄えたと歴史書が伝えています。
明治に入ると紡績で活気を取り戻し、財をなした人たちが活躍しました。


美観地区にある大原美術館は紡績業を家業とした大原孫三郎氏が建立したものです。
地区を歩いてみましょう。
倉敷川は米や綿など、さまざまな生活物資を運搬する運河の役割をしてきたのでしょう。
川の両側には今でも多くの蔵が残っています。
今日も観光客が多いです。
人を避けて路地裏に入ってみました。
美観地区とは外れた道路には骨董品を売る店が有りました。
阿智神社が有りました。
ここは小高い丘の上、周りが海だった頃、人が住める貴重な場所だったのでしょう。
入り口に石造りの橋があり傍に海岸に多いノジギク(セトノジギク?)↓が咲き往時をしのばせます。


往路、何軒かの寺が確認できます。
倉敷駅に通じる山側には昔ながらの民家も並んでいました。
阿智神社には知恵の神様、痴呆知らずの神様が御住まいであるという、どうりで倉敷には機知に富む人たちが多いはずです。
見晴らし社屋から美観地区が一望できます。
境内には身体の痛みを和らげるとされるカリンの実が芳香を漂わせていました。


カラスウリクチナシツメレンゲなど、薬として利用されてきた植物が目に付きます。
倉敷、もう一度、ゆっくりと歩いてみたい街でもありました。


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