薬王堂気まぐれ通信使bU28   2011・7・31〜8・1
Yakuoudo Capricious Communications Satellite

7月31日、広島駅を午後1時44分発の電車に乗って山口県上関町祝島に行くことにしました。
南岩国を経由、柳井港に着いたのが3時11分、それから3時45分発・最終便の高速艇に乗って祝島に向かいます
途中、室津〜上関〜蒲井〜四代の各港に停泊して上関原発建設予定地沖を通り過ぎます。


私は過去2度ほど建設予定地前の湾内で魚釣りをしたことがあります。
漁師が「イセエビを釣ったことがある!」と言ったのが印象的でした。
上関原発予定地からわずか3キロ先に祝島があり、島民の住む地区は予定地の真正面に位置しています。
島の住民が原発反対をするわけです。
豊饒の海、瀬戸内海は今、危険にさらされていると言えるでしょう。

今回、祝島に来た理由はシマサルナシという植物を見たいため!
連れの友人もシマサルナシに係わる情報を求めてこの地を訪れたというわけ!
原発反対に加担しようという理由ではありませんでした。
広島駅を出て約3時間半、祝島に到着します。
はたしてシマサルナシは見つかるでしょうか?



情報によると島内の数箇所で自生地が確認されているとのこと、
ひとつに山頂付近、もうひとつに島裏の三浦湾から少し登った地点、この二箇所にはあるという。
山頂には登れそうもありませんから三浦湾側を期待して次の日を待ちました。
宿泊は港の直ぐ前にある「はまや旅館」に予約しておきました。
祝島港では昼間に獲ったウニを海水で洗い選別していました。


島で獲れるウニを洗い選別する島の奥さん、祝島港内


シマサルナシについて述べてみましょう。

シマサルナシ マタタビ科 マタタビ属
ナシカズラとも呼ばれキウイフルーツの原種だと言われています。
島の方言で「コッコー」(※語尾の発音が上がる!)と呼ばれるこの樹の実は徐福(じょふく)が探し当てた不老長寿の実であるとの伝説が残っています。
徐福とは秦の始皇帝の命で蓬莱の国(日本?)に不老長寿の薬草を求めて中国山東省辺りから船出した2200年前の人物、
司馬遷の「史記」の中に徐福に係わる記述があります。
徐福が祝島で見つけたコッコー(シマサルナシ)に関しましては島の住民でもある重村定夫氏が長年にわたり研究し、2000年5月22日の中国新聞に記事として報告されています。
当時、重村氏は77歳、今生きていれば88歳ですが旅館で尋ねたところ今年(2011年)の4月に亡くなられたとのことでした。
残念ながら島を訪れるのが遅かったようです。
我々の関心事に旅館の女将さんが気を利かせてくれて親族の方に連絡を取ってくれました。
これは嬉しかったですね。


ご子息の奥さんに当たる方でしたが定夫氏の意思をくみとり研究資料の数々(@ABC)をそのままに保存し、この度我々に見せてくれました。
庭に栽培するコッコーの実も見せてくれました。
定夫氏はコッコーの実を漬けたりジャムにして食しておられたとか・・
88歳まで、男性としては高齢で元気にお過ごしになられたということはコッコーのお陰だったのだと想像します。
重村定夫氏のコッコー漬け資料→ @A
実は当にキウイの縮小版です。

2004年9月に撮影しましたウラジロマタタビ↓との比較も載せてみましょう。

左=ウラジロマタタビ     右=キウイ

今夜は島の特産、硬豆腐お酒、いただいたコッコー漬けを飲みながら寝ることにしましょう。

次回は島の自然を紹介いたしましょう。
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