薬王堂気まぐれ通信使bU09  2011・3・3
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※最初に!今回の画像掲載に関しましては広島県立美術館指定管理者の方に了解を得、担当学芸員並びに所蔵者の許可を得ましたことをお知らせします。

現在、広島県立美術館において「日本画の前衛」展が開催されています。
戦前、戦中から活躍した広島県にゆかりのある画家達の作品展です。
その中に私が指導していただいた船田玉樹先生の画が展示してあります。
2月28日、昼休みを利用して美術館に行ってきました


花の夕  (広島県立美術館の絵葉書より)



「花の夕」は展示室入口の正面に置かれていました。
一曲二双の大きな屏風絵ですが、この作品を見るのははじめてです。
20年前に80歳でこの世を去った船田玉樹先生とは10数年間親しくお付き合いさせて頂きました。
私の母親が日本画の教室に行っていた時に、たまたま私の作品を持参して船田先生に見てもらったのがきっかけで面会することになりました。
昭和52年当時のことですから随分と昔です。
私は現在の仕事がありましたので画家になろうなんて思いもしなかったのですが絵を画くことは好きでした。
それから船田先生のご自宅に頻繁に行くことになります。
小品や半作品を持参してご指導を受けました。
私も変わり者、船田先生も絵に画いた様な変わり者・・・二人とも気が合ってよく語り合いました。
「花の夕」
月が紅梅の背景にぼんやりと霞んでいますが銀の渋みはパンフレットや印刷物には反射して表現できないのでしょう、現物ではしっかりとした夕月が梅を包んでいます。
背景は白い色ですが月があることで暗闇を連想させます。
一気に引いた梅の樹の繊細な枝先に葉と新芽が迷いの無いタッチで描かれていました。
先生らしい!墨と朱と赤、白の最高級の岩絵の具を使い分けて描いています。
この絵が戦前の作品とは!時代を先取りしたような現代及び将来にも通ずる、新作に思える作品です。


利休像 (広島県立美術館の絵葉書より)


「利休像」
この大作は何度も観た事があります。
しかし会場の広さと、光線の当て方、環境と空気を熟慮した県立美術館で観ますと別作品ではないかと思われるくらい迫力がありました。
利休の服装や襖の金具などの考証は随分時間をかけたけれども筆の勢いには迷いがなかったと聞きます。
いずれにしても岩絵の具は何世代も変色しない最高のものを使用しています。


ひばり  (福屋カレンダーより)



私の好きな絵の一枚に「ひばり」があります。
この絵も船田先生がご健在の時に拝見させて頂きました。
植物に限らず生物、特に鳥や動物を描く時はじっくりと観察をしてから描くことと教えられました。
このひばりも先生が手元にしばらく飼って、その後に描かれたと聞いています。
それにしても的確な構図とすばらしい線描写です。


秋意  (福屋カレンダーより)

その他: 九品仏  宮島  牡丹  富士


先生の得意な分野に絹本での描写があります。
その代表作、「秋意」
このシリーズは何十枚何百枚、またはそれ以上の作品があることでしょう、殆んどは巷に散在していると思われます。
船田先生の気質として自分が気に入ったら無償で自作を供与するというくせがあります。
お陰で?私も十点ほどの船田先生の作品を持ち合わせています。
自分の天性を信じ、一生を絵のために捧げ、作品を売る事で生計をたてようとせず、世の中に媚びようとしなかった性格は奥様に随分と負担がかかったことだろうと想像します。

私の所蔵する船田作品を紹介してみましょう。



この絵は蒲刈の島だと聞いております。
題名は「入江」、裏に五五・五月と記されています。
先生の出身は下蒲刈島、先代のお父さまは大きな商売をされ、やはり芸術に長けた人だったと聞いています。
私は何度となく蒲刈島に行ったことがあります。
この光景は上蒲刈島の四国側だと想像しました。
恐らく若き日の船田先生は海から島の風景(蒲刈島は切り立った断崖と山、砂浜のきれいな島です)を見ておられたのでしょう。
この一枚だけは私が求めて先生から直接譲っていただきました。



私は船田先生の竹を描いた作品が好きです。
その一枚、葉書大の作品ですが竹の葉を描いた切り絵を朱を散らした和紙に貼り付けています。
この作品も斬新です。
趣があり、何かを想像させ、自由な空気を感じ取ります。

ガラス絵

異色の作品シリーズにガラス絵があります。
葉書を半分程度にしたガラスの裏に油絵の具を使って画かれてあります。
抽象的な作品ばかりですがなかなか味のある作品がそろっています。


墨を使った自由絵も沢山あります。
墨は古墨がいいようで私は中国産の黄山松煙をいただいたことがあります。
現代のものはあまりいい墨は無いと聞きました。
先生が温存されていた貴重な墨でしたが「墨は金よりも大事に扱うように!」と教えられたことがあります。
その二点を紹介しましょう。

墨画一



墨画二
私が時々登山をしていましたので感想を話していると先生は「わしは山に登ったことはないけど山に行くことができるんだよ!」と、その時には何をおっしゃっているのか解りませんでしたが今になってなるほどと感じ入ります。

同じ山を描いたものに「富士山」のシリーズがあります。
私は色紙大のこの一枚を家族の憩う居間に飾って毎日ながめています。

富士山・金地の色紙



その他に短冊が数枚あります。
富士山を拝む山には登ったことがないはずですが気高い富士山は何時見ても飽きません。
先生の気心はいつも「岩上独座」、誰にも影響されることなく自然を崇拝し我が道を往くことを生涯にわたって貫かれました。
「わしは死んでから有名になる!」と言っておられたことを思い出します。
不屈の先師、船田玉樹先生のお顔が目の前に現れるようでした。

もう二枚、いただいた「菩提樹」・「山居」という色紙です。
机の前に飾っています。


菩提樹



山居



船田玉樹先生から教えられた言葉にこんな言葉があります。
『絵に向かう心とは、常に創造すること!』
この言葉を忘れないようにして何時の日か絵が描ける日を楽しみにしておきます。

船田玉樹先生のプロフィール

広島県立美術館『日本画の前衛』
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