薬王堂気まぐれ通信使bT58  2010・1・25
Yakuoudo Capricious Communications Satellite

1月25日の中国新聞に呉湾にある三ツ子島のとなりの無人島を売り出すという記事がありました。
   (記事をデジカメ撮影して掲載したらいけないのかな?関係者がいましたら連絡してね!)
競売形式で進行され、すでに受付は締め切られ2月9日だったでしょうか持ち主が決まるということです。
今までの持ち主は日本国!
国有財産の島が売りに出されれるのは初めてだということです。
私も買いたかったのですが、お金もないし今回は見送りましょう!
その無人島に行ってみます。


競売にかけられた三ツ子島のとなりの無人島

波静かな呉湾に無人島はありました。
進行方向、左に回りますと中央がくぼんでいます。
真横から見てみますと真ん中が平地に整備されている様子がわかります。
この島を売りに出したわけですね。
左手のこんもりとした部分は鵜が巣を作っているようで白くなっています。
という事はけっこう小魚がいる!という証でしょう。
無人島は、となりの三ツ子島と20メートルの浅瀬で分断されています。
三ツ子島方面に行ってみましょう。


三ツ子島


現在、国有地だと思いますが島の南半分はメキシコからの塩が山積みされ白くなっています。
主に塩化ビニールなどの原料とされ食用分は少ないという。
新聞の地図と比較してみました。


昭和20年7月の空母が停泊していた場所に来てみました
正面の高台の場所にはコンクリートで作られた構造物があります。


正面の高台はコンクリートで強化されています。


この上には何があったのでしょう?
手前の桟橋跡の構造物には「無断立入禁止」と書かれた赤い看板が斜めに立っています。
小さな字で「三ツ子島○○株式・・」と読めますが判読不能でした。
高台の左には建築物の柱のような遺構が残っています。


施設の跡と思われる柱跡


柱は3つあり天井に覆いがあって重要な物体を格納していたのではないか?と想像出来ます。
上陸して確認したいと思いますが許可がないと無理でしょう!
三ツ子島は倉橋島と100メートルほどの海峡をはさみ隣接しています。
対岸の渡子地区、田原地区の沖合いに不時着した当時の米軍艦載機パイロットは悲運な運命であったと母から聞いた事がある・・・
23360日前、ここであったこととは言え、時代によってこうも違うのかと一人想うわけであります。


今日も一日が終わる・・・

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