薬王堂気まぐれ通信使bT53  2009・12・20
Yakuoudo Capricious Communications Satellite

20日、日曜日、久しぶりに宮島に行ってきましたので海に浮かぶ厳島神社を紹介してみましょう。


厳島神社


昔(50数年前)、お土産屋商店街を過ぎ千丈閣を上に見ながらの海岸通りを過ぎた辺りに白馬(神馬?)の居る馬舎がありました。
観光客が馬の好きなサツマイモを買って与え過ぎたのか、いつの間にか居なくなって今では木馬が安置されています。
その直ぐ前に厳島神社東の入口があります。
古信仰では厳島全島を一つの神と祀ることから神社は海上に建造されたと言われています。
東入口で300円を支払うと海側の手水鉢にて手を洗います。


神官は手は洗ってもいいが口には含まないほうがいい!と言う!
水源は飲み水として保障されていませんでした。
東の回廊に入りますと右手に祓所(はらいしょ)があり御幣串が目に入ります。
案内には参拝に際して串で身を祓って先に進んで下さいとあります。
左手直ぐの所に客(まろうど)神社があります。
主として農業の神様が祀られ諸祭事の事始に使われるとのことです。
回廊幅は約4メートルあり入口から出口まで約260メートルあるそうです。
右折すると大鳥居が見える回廊に囲まれた庭海=枡形(ますがた)に出ます。


枡形を目前に大鳥居を見る


そこを過ぎると厳島本殿に参拝出来る拝殿に到着します。
拝殿の海側には大きな床板(昔の楠で出来た船板を使っているとか)のある祓殿(はらいでん)があり、その先に舞楽が演じられる野外の高舞台があります。
その先は白木板の平舞台が海に突き出ています。


船板を敷かれた祓殿


大鳥居に向かう平舞台は観光客が記念撮影をする格好の場所となっています。
拝殿で500円を賽銭箱に投入し今生の幸せと家内安全・商売繁盛?に感謝し終わると横に巫女の居る受付所がありました。
そこから回廊を左折すると正面に大国社(おおくにしゃ)が見えてきます。


右が本殿 左が大国社


大国社から陸地にかけて木造の長橋が架かっていました。
長橋は諸事に際し陸地の御供所から物品が運ばれる時に利用されるようで1500年代毛利氏が創建し朱で塗られていない建築物です。
橋の支えである束石は山口県の赤間石を使っているとか・・・
そういえば海上神殿を支える束石は高潮でも浮いて壊れないように木で造られています。
朱色に染められていないのは天神社(てんじんじゃ)もそうで学業の神様が祀られているそうです。
天神社の廊下には四角く穴が開けられていました。
恐らく高潮の満潮時には海水が床板を押し上げますので水圧を逃す工夫ではないでしょうか!
能舞台も毛利家時代に創建され朱で染められていない建造物です。
丸い太鼓橋は反橋(そりばし)と呼ばれ天皇からの使者(勅使)が来た時だけに使われたそうですがどうやって渡ったのでしょうか?
やっと西の出口に来ました。
厳島内にはたくさんの神社が存在しています。
平清盛さんは海上交通を支配して莫大な富を得たのでしょうね!
神の島とされる厳島=宮島は宿場遊郭のある中継港として栄えたことでしょう。
古い神社を訪ねて弥山に登ってみました。
御山神社(みやまじんしゃ)は消えずの火で有名な霊火堂の近くにあります。
10年前の火災でかつての霊火堂は消滅しました。
消防が水をかけたので消えずの火は一端途絶えたはずなのですが・・・
弥山登山には皆さんよく行かれますが御山神社にはあまり足を運ばないようです。


御山神社


西を入口とする御山神社の歴史は古く厳島神社の創建(西暦600年頃)時にも遡るとも・・・
境内ではツガが風に吹かれていました。
ウリハダカエデソヨゴクロキイヌガシホウロクイチゴマメヅタランネズミモチサカキ
少し下がってタマミズキミミズバイシキミカギカズラなどがありました。
船着場近くの石垣にはオオイタビが繁茂していました。
二つ実が転がっていましたので持ち帰ります。
クワ科・イチジク属・オオイタビ
雌雄異株で花嚢は雄・雌があると言う。
半割りにした花嚢は雌花嚢でしょうか!


オオイタビの花嚢


それにしても同じ属のイチジクにも雄と雌の違いがあるのでしょうね!
ムラサキツバメが羽を休めていました。


ムラサキツバメ

ホーム   一覧に戻る