薬王堂気まぐれ通信使bT24   2009・5・17
Yakuoudo Capricious Communications Satellite

先週は周防大島(山口県)まで行きましたが今週は下蒲刈島を経由して豊島(とよしま)〜大崎下島〜岡村島(愛媛県)まで車で行ってみました。
今年に開通した豊島大橋のお陰で大崎下島の大長(おおちょう)や御手洗(みたらい)まで車で行けるようになりました。


17日、今日は午後から雨風が強くなると言う・・・
それにしても午前中の安芸灘大橋(下蒲刈)のある瀬戸は静かでした。
三ノ瀬に有る蒲刈大橋をわたり上蒲刈島の県民の浜周辺も無風状態で今日は魚釣りに出たほうがよかったかな?と思われるほど・・
新しく開通した豊島大橋をわたります。
橋の上から海をのぞいてみます
下蒲刈島の大浦沖は島影が霞んで見えました。


豊島に入ります。
豊島の船は宿泊出来るように造られていますので直ぐにわかります。
今日は豊島を素通りして豊浜大橋をわたって大崎下島に入ります。
久比(くひ)港から奥に入ってみました。
珍しいお好み焼き屋がありましたね。
美空ひばりのスケッチと共に「ひばり座」と看板が出ていました。
丁度、主人らしき人がいましたので見せてもらいます。
美空ひばりの大ファンと言います。
今朝も一枚、ひばりさんの絵を描いたと言う(明地さん!)・・・
う〜ん、確かに熱狂的なファンのようでした。
画を見させてもらってお好み焼きを注文しようか?と思いましたがお昼にはちょっと早すぎる!
先を進みました。
ミカンで有名な大長に入る前に愛媛県に当る岡村島に行ってみることにします。
ここも小さな島同士が橋でつながれています
小島(無人島)の先に大長の港が見えます。
左手には大崎上島が見えました。
岡村島に入ります。
島はミカン作り一色です。
正面に御手洗が見える場所観音崎があります。
御手洗は江戸期に栄えた風待ち港で有名です。
最盛期の幕末には北前船の停泊地で数百人の遊女がいたと言われています。
遊女(女郎)の悲運を観音崎に祀ったと言われます。
岬先端まで歩いてみました。
この辺りの岩は白い石灰岩が目立ちます。
もっと山に入れば石灰岩特有の植物が見られるかもしれません。
海岸には、コマツヨイグサハマヒルガオハマダイコンクサスギカズラ(天門冬)、マンテマツルナツワブキナヨクサフジノハカタカラクサなど、木本では、マルバウツギ(全体)、テリハノイバラスイカズラトベラの花が咲いていました。


ハマヒルガオ


野生化したビワの実が美味しかったですね。
アツミゲシが芥子坊主をのぞかせています。
にぎりめしを食べ終り海岸線を岡村港まで行ってみます。
辺鄙な場所でしたね。
漁から帰ったばかりの船が魚を売っています。
おっちゃんタコが逃げそうだよ!
手ごろなタコとシタビラメ(別名=クツゾコ・ゲタ・ウシノシタ・デンチョウガレイ)を1600円で買います。
それから島北側の正月鼻古墳群見てミカンロードを登ってみました。
辺り一面、ミカンの花の時期で甘い香りが漂います。
右に正月鼻、正面に大崎下島が見える高台に登ります。


斜面はミカンの花盛り、右が正月鼻・対岸は大崎下島


そこを過ぎると御手洗が見えてきます。
古い町並みがそのまま残っています。
植栽されたハコネウツギが見ごろです。
岡村島を後にして大崎下島の大長に入りました。
この辺りでは時間がゆっくり流れているようです。
船つき護岸にはヒジキがしっかり育っています。
ここは今でもミカンを大量に積み出す港として有名です。


大長の港


離島のミカンを集めたミカン舟が停泊していました。
御手洗に入ってみましょう。
古い町並みがそのまま残されていました。
歴史散策は今回は無し!昔、女郎屋敷で繁盛した若胡子屋敷(右手)が印象的でした。
町には修理を今でもしている時計屋さんがあります。


一日中、時計の修理をしているのでしょうね。
海に面した場所に昔の船宿だった家屋があります。
よく残っていますね。
この辺りから風雨が強くなりました。
天気予報はよく当ります。
もう一度、スイカズラの花(金銀花)を撮影し帰ることにします。
海は大荒れ、出来たばかりの豊島大橋にさしかかる頃は暗雲が垂れ込めていました。


上蒲刈島と豊島を結ぶ豊浜大橋


笑点に間に合うように帰宅してタコデンチョウガレイに一杯飲んだという、こんな日曜日でしたね。
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