薬王堂気まぐれ通信使bT05 2008・12・24
Yakuoudo Capricious Communications Satellite
気まぐれ広島人は過去を思い出しながら四コマ漫画に挑戦してみました。
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起承転結!となっているのでしょうか??
ストーリーは小学校の低学年の時、私は友人を誘って岩谷(いわや)観音に登るという内容です。
秋、標高450メートルもある岩山に登るわけですが友人にとっては初めてのことで冒険だったでしょう。
もう少しで頂上という所で松の裏側に松茸があるのを友人が見つけます。
私はこの山に何度か登っていましたので斜面に気をつけながら松茸を採ります。
その時まで仲のよかった二人でしたが、見つけたのは友人で!採ったのは自分だ!とけんかになります。
何とか私が持ち帰ったものの母親から、「あげればよかったのに・・・」 と言われたことを思い出します。
今なら、思いやり、社会的な見え、打算などを考え松茸を友人にさし上げていたことでしょう!
という事で12月24日の休日、50年も前の出来事を振り返りながら岩谷観音に登ります。
ふもとの道隆寺は千年以上の歴史がある古い寺です。
50年前、この付近には道隆寺しかなく周辺の丘陵は墓山でした。
道には四国八十八箇所を真似た石の標石が並びます。
このあたりの道で出くわしたものがあります。
道の中央にじっとして動かないキリギリスを見つけます。
近づいても逃げようとしません。
よく見ると尾っぽから伸びる管を土の中に差し込んでいました。
じっと観察すると尻尾から管を伝って卵のようなものが土の中に移動していました。
50年前のことです。
当時は松の多い白い山道でした。
そこを過ぎて3分の2くらい登ると平坦な場所に出ます。
55年前、ばあさんは私を連れて山寺に向かいます。
ここら辺りに来ると日も暮れて提灯に明かりを灯して進みます。
後もう少し、あの頂に見える明かりが今夜の寝場所(岩谷寺)です。
胸突き八丁坂には人の足を食い止める段のあとが残ります。
最後は寺に入る急な石段、門石が昔のままに立っていました。
現在、かつての岩谷寺は有りません。
この寺が建てられたのは1952年から1953年のこと、56年も前、私が4歳の時でした。
今は瓦が散乱しているだけ!
なんと書いているのでしょう?
「菊間瓦産業組合」と読むことが出来ました。
鉄の欠片があります。
寺の中に触ると熱い鉄で出来た火鉢が有ったような・・・
この風呂に入ると枯れ葉が浮き濁ったお湯でした。
井戸には水がありましたが、松が枯れ井戸に水が無くなって住めなくなります。
境内にあった斜めの老松も朽ちていました。
何度か山火事もあり寺をふもとの村に移します。
寺跡から10分も登ると頂上に出ます。
夕暮れの広島市が一望できました。
遠くに宮島、広島湾には牡蠣のいかだが浮かんでいます。
今年は天然記念物のカンムリウミスズメが飛来しています。
そろそろ帰宅しなくては足元が見えなくなります。
日が沈んだのは午後5時ジャスト!
広島市のネオンを見ながら山を降りました。
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