薬王堂気まぐれ通信使bS50  2007.11.11
Yakuoudo Capricious Communications Satellite

11月11日は朝から広島漢方研究会のお世話をしていました。
午後になって・・・やはり出てみたくなりましたね〜
何処って?
時間的に出かけられる範囲をぶらりと・・・

広島市の西、ビックアーチの付近に石内という場所があります。
何でも有名な映画監督(新藤兼人監督)の出身地だとか?
この付近は「石」に関わる地名が多く残っています。

石内・石内上・石内南・臼山・石飛・百石・石道本城・水晶ヶ城など・・・
それで水晶ヶ城の有った山(132メートル)に登ることにしました。

小高くなった山の頂上に水晶ヶ城があったと言います。

ただのハイキングですよ!
入口という標識の付近に駐車して登山道を探します。
標識の後ろから山に登れたのですが入口はトタンで閉められていました。
トタンの横から侵入します。
なんだか人があまり通っていないようです。
荒れた登りが続きました。
息を切らしながら20分ほど登ったところで、やっと平坦な道に出ました。
山をとり巻いた迂回する道のようです。
そこには「武者走り」と説明版がかかっていました。
それにしても寂しそうな場所でしたね〜
この山に城があったのは中世、毛利氏と陶氏との宮島での戦い(厳島合戦=1555年)前後とされています。
当時の山陽道は海岸線ではなく、このあたりに道が有りました。
武者走りをしばらく歩いてみたのですが頂上に通じる道は見つかりません。
勢い獣道を登ってみました。
息を切らせて登りついた所は開けていました。
ここは「二の丸」跡と表示がありました。
二の丸から頂上の広場まで急な坂を5〜6メートル上がるだけでした。
頂上に本丸があったと表示されています。
西に山陽自動車道が通っています。
10分ほど頂上にいましたかね。
クロキ・コシアブラの木があります。
二の丸から左に小さな道があるようです。
下りてみました。
一段下にも屋敷のあったような敷地が有りました。
井戸がありそうです。
更に小さな道を下りますと「空堀り」という表示が見えます。
確かに溝が掘ってあるようです。
空堀りの道は先ほどの武者走りに通じていました。
水晶ヶ城・本丸までの山道はそんなに広くなく、城のあった場所も多くの人が住める場所ではなさそうです。
まあ、せいぜい10人くらいの侍が常駐していた??小さな山城ではなかったのでしょうか!
そんなことを考えながら下山しましたが途中、「水晶」という看板に出くわします。
ええっ!ここのもあるの?意外!
足元の落ち葉を払いのけて探してみます。
なるほど〜!
石英のかけらが散らばっていました。
辺りは暗くなり始めていましたのでしばらく採集して下山開始。
竹やぶが続きます。
ここの竹は外来種のモウソウチクです。
タケノコを採ったり建築材料として使われたのでしょう。

ノコンギクの咲くあぜ道

ノコンギクマルバルコウの咲くあぜ道を通って臼山八幡神社に到着します。
今でこそ神社からの石内は新築の家が見えますが岩の多い不便な場所だったのでしょうね。
今日見つけた小さな水晶を紹介してみましょう。
その@そのA

臼山八幡神社から石内を望む

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