薬王堂気まぐれ通信使bR48   2006・5・21
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福山地区・神辺(かんなべ)に幕末、えらい儒者が居たという・・・
その名を管茶山と言うらしい!
私は詳しいこともわからないまま、広島・史学を学ぶ会の方々に同行して足跡を訪ねることにしました。
広島県福山市神辺町大字新湯野に管茶山記念館があります。

吉野山から神辺平野を望む・正面に見える小高い山が黄葉山、その手前に廉塾はある。
管茶山先生のことを知らないですか?
それじゃあ〜概略、もらった本を読み返して、知らない人のために知ったかぶりをしてみましょう。

時は西暦1748年、神辺に造り酒屋の息子として生まれた管さんは幼少から体が弱いこともあって本の虫となりました。
19歳の時には京都に勉強をしに行くんですね。
当時の勉強と云いますと四書五経とかいう難しい中国の書物を解読するんだそうです。
何でも儒学とか?朱子学とか?いうらしいです。
そこで頼山陽らと交友を持つのだそうです。
菅さんは漢詩を作るのが得意でずいぶんオリジナルな抒情詩?などを創作し残しています。
それらをまとめたものに「黄葉夕陽村舎詩」という版本がありまして当時、評判になったといいます。
34歳には神辺に自分の塾を開いて後進の指導にあたりました。
まあ、今で言う大学とか大学院のようなものだったそうです。
その名も廉塾(れんじゅく)といい現在まで史跡として守られていましたので訪れてきました。

右が講堂、塾生は石段を下りて筆や硯を洗った!
入口問をくぐり野菜畑をぬけて講堂の中にも入ってみました。
敷地内には綺麗な水の流れる用水路がありました。
塾生はこの用水路の石段を下りて筆や硯を洗ったと言われています。
よく勉強したのでしょう。
私なんざ〜筆の一本、墨棒の10分の一もつぶしたことないのに・・・
で、これ以上、私が管茶山先生のことを論じたところで失礼になりますので話しを変えます。

その廉熟の中にある畑をのぞきましたら珍しい植物がありました。
コンニャク(蒟蒻)の花です。

コンニャクの花
何故?蒟蒻の花がこんなところに???
普通、蒟蒻は花を咲かせますと根が腐ってしまいます。
5〜6年しますと蒟蒻は花を咲かせますので花を咲かせる前に肥大根を収穫するそうです。
茶山先生は儒者ではありましたが若いときには医学や植物学も教養の一つとして勉強したと聞きました。
色々な資料をいただきましたが蒟蒻に関して記載のある部分は唯一つ、管茶山顕彰会会報・第16号の巻末に「蒟蒻(こんにゃく)談義」と題して副会長の井上謙二氏が解説を載せていました。
どうでも蒟蒻には薬効があってそれを日頃から食べなさい!という事を言ってたらしいです。
それにしてもこんなところで蒟蒻の花に出くわすとは・・・
サトイモ科の花は咲いたばかりで明日にでも役目を終えて枯れてしまうでしょう。
NHKで世界一大きな花と評してボルネオオオコンニャクの花の不思議を紹介していました。
少し小形ですが全く同じ形態をしています。
昨夜辺りには花軸が発熱して線虫のような花粉を放出したのかもしれません。
そして畑の隅に見慣れぬ羽状複葉の樹木が植わっています。
これは何か?

カイノキの若葉
後でわかったことですがこれはカイノキです。
櫂より始めよ!との諺と関係があるのかどうか判りませんが管茶山先生は備中・岡山の閑谷(しずたに)学校と深い関係があったとか・・・
閑谷学校にはカイノキ(Pistacia chinensis)・ウルシ科ラシンボク属の大木があります。
多分、管先生が閑谷学校に行った時に苗を持ち帰って植えたものの名残でしょう。
廉塾は旧山陽道の神辺宿場町沿線にあります。
神辺には昔、参勤交代に大名が立ち寄った神辺本陣が残っていました。
特に黒田藩(熊本県)が頻繁に利用したと言われ、畳の下には鉄板がしかれて寝床を槍の被害から守っているとのこと!
また、大名のトイレは引き出し型で鳥の羽が布かれ、汚れた部分を取り除いてまた羽を足していたと言われています。
鳥洗便所というわけでしょう。
我々のために歴史を紐解き神辺町をゆっくりと案内してくださいました歯科医師の松井義典先生には心から感謝致します。
ナツハゼの花の咲く5月、茶山饅頭をいただきながら抹茶をいただきまして福山を後にしました。
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