薬王堂気まぐれ通信使bS03  2006・12・3
Yakuoudo Capricious Communications Satellite

12月3日は倉橋島に行ってきました。
倉橋島にはまだまだすばらしい景色が残っています。
今日は島の風景をたどりながら植物の話しをしてみましょう。
朝、9時ころ呉の町を通過します。
大和を建造したドックを見下ろす市営住宅の傍には未だに戦時中に作られたトーチカが残っています。
戦後60年も経過したのに、この街では戦争の傷跡は消えていないようです。

トーチカがドックを見下ろす!
音頭の瀬戸を過ぎ長谷地区を目指して車を進めますと静かな入り江に到着します。
この湾では昔、特殊潜航艇の訓練が行われたと聞いています。
弁天島までは遠浅で周りに牡蠣イカダが数台浮いていました。
最近出来た島周りの道路ですが路から少し入った所に気に入った箇所があります。

気まぐれ広島人が最も気に入っている風景!

ここからの海は特に綺麗で砂の斜面に椅子を置いてずっと眺めていたい↑そんな気持ちにさせてくれる場所です。
途中、路幅は狭くなり車一台がやっと通れる島道を過ぎますと野菜を育てている場所に出てきます。
この辺りには何度か来たことがあります。
昔とは変らない美しい風景もありますが時代とともに少しずつ人臭くなっているところが気になります。
何時までも昔のままの風景であってほしい、そんな箇所です。
室尾(むろお)という村に出て海越(うみこし)を過ぎ、家老渡(かろうと)に向かいます。
ここは江戸時代、北前船航路の風待ち・潮待ちの港として栄えた場所です。
40年前まで倉橋島から家老渡島に渡る(画像はその狭い海峡)には船や狭い木の橋を利用していました。
又、家老渡から沖の鹿島に行くには渡し船が出ていましたが30年前に大きな鹿島大橋(只今橋げたを修理中!)がつけられました。
家老渡に入りますと丁度、小さな祠のお祭をしています。
15人くらいの住人が神主を中心に祝詞をあげていました。

ここは昔ずいぶん栄えた場所で今日は住吉さんの祭りです。少し前まで大きな松がここに植わっていて今ではなくなった!近くには女郎衆の居た宿屋の佇まいが残っていた!周りには多くの人が集ったお伊勢さん、観音さん、宗像さん、それに数箇所の祭りごとをする場所が残ってるんです!

そんな内容の話を祭りをする女性から教えてもらいました。
両方を港とした中洲に数十件の民家が建てられていました。
そもそも家老渡とは、身分の高い家老職の人の別荘地として使われたことから名づけられたとも聞いています。
家の庭先で集めたヒジキ煮ています
近くの遠見山(100メートルばかり!)に登りました。
ここからの眺めも絶景でしたね。

上の画像は遠く四国連山、左手前の島は愛媛県・中島、右は山口県の情島でしょう。
植物を見てみましょう。
ブドウの仲間のエビズル、実を食べると不味いが色の綺麗なノブドウ
アキグミの真赤な実が鈴なりです。
枝や葉を水に漬けてポマード?(鬢を整えた!)代わりにしたサネカズラ=別名ビナンカズラ。
真っ白な花びらのセトノジギク
ツルウメモドキナナミノキ、目立たないネズミモチの実、ノイバラの赤い実、黄色のヤクシソウの花など・・・
近くの松には珍しいマツグミオオバヤドリギの実がなっていました。
波立つ海面に空の雲が映えています。
ホーム   一覧に戻る