薬王堂気まぐれ通信使bR26   2005.12.4
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4日の日曜日には宮島詣でに行ってきました。
↓画像の五重塔は1400年初頭に建てられたと言われています。
画像右の千畳閣は太閤秀吉の命令により1587年から建てられ創めたと言われていますが完成しないままに今に至っているそうです。

大河ドラマ・『源義経』より!
義経(よしつね)は源義朝(よしとも)と常盤(ときわ)御前の間に生まれます。
義経が幼い時に父=義朝は平治の乱で破れ暗殺されますが妻=常盤御前は敵方の平清盛(きよもり)にみそめられて室女(妾)となりました。
平清盛との間に生まれたのが今回登場する天女姫だったと言われています。
テレビでは同じ娘に能子(よしこ)という姫が登場しますがあらすじから14歳で亡くなった天女姫ではなかったようです。
天女姫は疱瘡(天然痘)を患いますが、安芸の太守を勤めた父=平清盛が宮島を深く信仰していた関係で海路宮島詣でに行くことになります。
ところが参拝を済ませてから天女姫は亡くなります。
14歳でした。
遺骸は理由により内海の小高い丘に葬られますが古来より向洋のこの地=疱瘡神社がその場所だと言い伝えられています。

疱瘡神社
疱瘡神社の由来
 源義朝死後、その室、常盤御前と平清盛との間に生まれた女子が所謂、天女姫である。
従って源義経と天女姫とは異父同腹の兄弟である。姫はその名の通り天女にも似た美女であったが、不幸、疱瘡病(天然痘)に罹り、全国の名医を集めて治療に専念せしめたが容易に癒えざる為、平家の守護神として信心深い厳島明神におすがりする外なしとして高倉亭の治永三年
(1179年)二月上旬、姫を船に乗せ数多の女官従者を従え海路二十六日、宮島に参着、祈願の後、帰路に就くと不意に病あらたまり二月二十九日、姫は十四才を一期に息を引き取った為に、その遺骸を埋葬すべきところを神に伺ったところ、これより東方七里、赤旗の建ててある場所こそ埋葬の地であるとのお告げに従い、遺骸を船に乗せ東方向洋の浦辺まで漕ぎくると当に赤旗の建てる岡がある。
これぞその場所と金銀十二枚、手玉七つ、玩具類七個と、ふだん姫が肌身離さず持っていた一寸八分の黄金仏などを副葬品として埋めて其のしるしに栴檀の木を植えておいた。
そしてこの場所から東方八間のところに四間四方のお堂を建てて本尊に阿弥陀如来を祀り、その脇に姫十四才のとき十二一重で身を飾った立ち姿の木像を彫刻し入魂の秘法を行い本尊に配し祀ったと古伝にある。
その場所が古来、現在地と伝承せられている。
昭和五十六年四月
堀越町内会建之

私の妻もそうですが当時の常盤御前は本当に美しい女性だったようです。
まあ、そんなことはどうでもいいのですが男と女の間は全く複雑ですね。
今回は宮島詣での後で近所の向洋地区を探索してみました。
マツダの自動車工場ができたのが昭和の初期で海を埋め立てて敷地を造ったといわれています。
それまでトキや鶴の住む干潟が広がっていました。
向洋地区も黄金山のある仁保島の向かいに位置する灘(なだ)からこの名前になったと地元歴史書=灘の歴史に記載されていました。
疱瘡神社は小高い丘の上にあって今でも農作が行われ明治の時代にはこの場所から石鈴や石斧が見つかっています。
石鈴が天女姫の玩具であったかどうか?は不明ですがその時に山下の井戸水で身を清めたなど、言い伝えも残っています。
当地の有力者に案内を受け歴史探索をしましたが時代は急速に移り、かつての生活の痕跡(古い井戸)は次第に遠ざかっているようでした。

宮島ではトサムラサキ↓、タイミンタチバナヒメユズリハツルグミの花、ミミズバイの実、 ヒノキバヤドリギ (アップ)などが寒風にさらされていました。

トサムラサキ
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