薬王堂気まぐれ通信使322   2005.11.3
Yakuoudo Capricious Communications Satellite
11月3日は文化の日でした。
気まぐれ広島人は広島・史学を学ぶ会のお誘いを受け皆様と共に福山地区・尾道地区に行ってきました。

福山城天守閣
先ずは福山城でした。
城の中で園尾先生のお話しに耳を傾けました。
福山市歴史博物館・学芸員の園尾裕先生は以前に広島大学医学部で講演されたことがあります。
現在『ふくやまの古墳時代』と題して展示会をしています。
旧山陽道、神辺地区に通じる横尾の町並み
その後で神辺町に近い横尾」という町に行きました。
ここは旧山陽道の宿場町跡で今でもたくさん古い民家が残っています。
ここに幕末に活躍した医者の墓があるというので行ってみたんです。
考えてみれば物好きな集団ですね〜・・・
昔、田んぼの真ん中だったらしい墓地に親族以外が来たことはなかったに違いありません。
葬られている人の名は佐藤臨水、1845年76歳で没しますが幕末にはこの地区(新茶屋)で有名な開業医だったらしいです。
その墓石の裏にこんなことが書いてあるんです。
前後省略
『・・・娶小川氏義子敦業医学華岡随賢・・・』
とあります。

墓碑裏に掘り込まれた字↑
気まぐれ広島人流に読み下しますと・・・
『・・・小川氏より娶(めと)る。義子(もらい子?)の敦は医を業とし華岡随賢(青洲)に学ぶ・・・』
すなわち、佐藤臨水さんは小川氏から嫁をもらいますが理由により敦という養子を持ちます。
敦=隆祐は乳癌の手術を世界ではじめて行った華岡青洲に医学を学び医師として活躍します。
自分の墓碑に書き残すくらいですから敦さんは臨水自慢の秀才息子だったのでしょう。
ついでながら、うちにも私の墓碑に刻むにはためらう息子が二人います。
1873年に亡くなった敦さんは臨水墓の横に自然石を墓石として安置されていました。
私が調べたんではありませんよ!大方、広島史学を学ぶ会の門前弘美先生からいただいた情報です。
尾道・浄土寺の国宝指定建物(左本堂と二重の塔)↑
JR福山駅にひき帰しまして在来線で尾道(浄土寺参道?)に行きました。
尾道では浄土寺で「源氏絵まつり」を開いていました。
本堂も二重の塔の建築物も国宝に指定されています。
もちろんここで紹介されていました「源氏絵屏風」も大切なものです。
でも写真は写せませんでしたね。
雪舟13代目とか?何とか?あちこちに絵が残された寺でした。(←隠し撮り)
庭の植木や敷石を見ながらゆっくりと趣味のお茶に興じたという、優雅でしょう!
御行儀のよい気まぐれ広島人を紹介しましょう。
そして浄土寺の宝物館へ!
その時の時刻は午後の4時過ぎでした。
私はお腹がすいて眩暈がしそうになります。
自然と足は繁華街に向かいます。
どこでもいいや!食べられれば!とお好み焼き屋に入ります。
その後、ロープウェイ下の丑寅神社にお参りに行きました。
べっちゃ祭り↑
その日の尾道はべっちゃ祭り2で賑わっていました。
べっちゃの意味はよくわかりませんが何でも仮面で動き回る中にベツとか言う生き物がいるからとか?
何でもいいけど古い風習が残る尾道、これからもべっちゃ祭り3が廃れることなく続いてほしいものですね。
夕暮れの因島や大三島を眺めながらJR在来線にて帰宅しました↓

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