薬王堂気まぐれ通信使bQ90  2005.2.27
Yakuoudo Capricious Communications Satellite

呉ポートピア発〜切串行きに8時5分に乗船します。
27日の日曜日、ネットで知り合った友人をたよって江田島市に行ってきました。
何でも見てみよう!やってみよう!という二人の精神が共鳴したんでしょう。
先ず大須地区の砲台跡に行くことにしました。

大須砲台跡のレンガの建物↑

ここには38年前に高校の同級生(10名くらいの男女)と来たことがあります。
私の頭脳からは当時の大須山砲台跡・標高260メートルの情景はほとんど消え去っています。
ここは太平洋戦争では使われず日清・日露戦争後に建造された大正時代の建造物だそうです。
約90年前の赤レンガの建物と砲台を据え付けていたコンクリの台座はしっかりしていました。
コンクリに川砂を使っていたのでしょう。
木造部は消失してありませんが兵舎跡が残っていました。
ここがトイレでここが風呂、水を溜める用水跡があって煮炊きをした場所も特定できます。
側の山肌には防空壕が残っています。
中は真っ暗でしたが恐る恐る入ってみることにしました。
懐中電灯はなく何も見えません。
どんなものか?デジカメでフラッシュを焚いてみました。
画像を我が家で展開してみましたが意外ときれいに写っています。
コウモリは下がっていませんでした。
内部にゴミもありません。
昔のツルハシの跡が壁面に残り、足元に数個のレンガがあるだけです。
碍子(ガイシ)が転がっています。
当時では大切な電気が供給されていたのでしょう。
トイレの溜りを掘ってみれば当時のお金が出てくるかもしれません。

大須山砲台跡から広島市を望む気まぐれ広島人↑
山を降り津久茂地区に金鉱山跡を探しました。
鉱脈石を積んだ塀は確認しましたが坑道などの遺物を発見することは出来ませんでした。

津久茂を後にして飛渡瀬で昼食にします。
刺身盛り合わせを選んでイカ御飯かチヌ飯食い放題で700円、これは安かったですね〜

江田島市・深江新開地区の海↑
その後、深江地区に入りました。
深江は私が記憶する最も古い思い出の場所です。
4歳当時、海岸の岩下のナマコの姿を覚えています。
両側に木造二階建て家屋が競り合い、足元には海に通じる路地がありました。
その路地左には側溝があったことを思い出します。
丘の上の墓所に誰だったか?女性二人と花を供えたことも記憶にあります。
深江、名前の通り船が入るのに丁度いい湾になっていました。
私の祖先もこの地と関係があったに違いありません。

そして気まぐれ広島人は鎚とたがねを使って石を削りました
水晶の透明な壁面に胸躍らせた少年期、今、その情熱は少なくなりましたが何とかその時に戻ってみたい!
その一念で石を削りました
人の記憶とは一体何なんでしょう!

ヒルガオ科・アオイゴケ↑
近くに珍しいアオイゴケとイソギクがありました。
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