薬王堂気まぐれ通信使bQ78  2004・11・28
Yakuoudo Capricious Communications Satellite

28日の日曜日、午後から新大阪で会議がありました。
広島を出発すれば2時間もかからないうちに到着します。
40年前は蒸気機関車で9時間はかかりましたからね。

台風の影響を受けた天応の防波堤↑
それでも一日を会議で費やすにはもったいないと思い早起きして近くの天応(てんのう)に行ってみました。
今年の台風被害はひどかったですね〜
特に台風23号でしたか、瀬戸内海本州側・天応付近の海は大荒れでした。
防波堤は画像のとおり風波で破壊されていました。
仮に設置された応急用の土嚢が痛々しく感じられます。
海岸に接する民家は窓が無くなり屋根が飛んで人が住まれない状況でした。
この近くのマンションでは3階の部屋まで波しぶきがかかったと言います。
いつもはこの波止の先で魚が釣れるいい場所なんですがね〜

天応は呉線の沿線にあります。
呉は二度の大戦で軍港として栄えてきました。
小さな一漁村だった呉が軍港として開け始めたのが明治35年頃だそうです。
その時に呉に鉄道がひかれました。
はじめは単線でしたが物資の輸送の為に広島から複線にする計画があったようです。
天応駅や小屋浦駅の山側付近には往復用のトンネルが並んでいます。
使用されていないトンネルは立ち入り禁止ですので私の画像はお叱りを受けるかもしれません。
でも入り口付近から入れましたので紹介してみましょう。

呉線の複線用トンネル↑
レールの無いトンネルは全く使われなかったのかと思いましたがネットで調べましたら蒸気機関車が走っていたようです。
全国に蒸気機関車が走っていたのは1970年くらいまでです。
それからは電化が進んで電車の時代に入ります。
未使用のトンネルは電車が通る路線に転用されました。
今使われていないトンネルの内部は機関車の煤煙でしょう、黒ずんでいます。
入り口付近に当時の標識が残っていました。
昔の書き方ですね!右から左に書かれてあります。

トンネルの前の標識↑
『注意 時計とダイヤを見て通れ』

なぜトンネルの入り口にあるのでしょう?
人が通り抜けるような場所ではないのにどうしてここに・・・??
明らかに人を意識して書かれてあるのですが一般の人ではなく鉄道関係者がトンネルに入る時に見る標識かもしれません。
ダイヤはそんなに身近にあるものではないですからね。
それにしてもよく残っていました。
トンネルの中には人が座れるほどの避難用の引っ込み部分もありました。
機関車が来たらここに避難するのでしょうね。
使われなくなって35年くらい経つのでしょう。

さあ、そろそろ帰って新大阪に行かなければ・・・
花はヤツデヤクシソウが咲いています。
近くで採ったセトノジギクも今我が家で咲いています。

我家で咲くセトノジギク↑
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