薬王堂気まぐれ通信使bQ30   2003・12・2
Yakuoudo Capricious Communications Satellite

前回は漢方関係の学会(座長を務める気まぐれ広島人)がありましたので通信使お休みしました。
真面目そうにマイクを握っているでしょう!こんな姿は滅多に見られません。

気まぐれ広島人、今週の日曜日は安芸灘大橋を渡って蒲刈島に行ってきました。
途中、呉(くれ)を過ぎ広(ひろ)の手前の阿賀(あが)という町に前から気になっていたものがありましたので撮影してきました。
呉は皆さんもよくご存知でしょうが軍港でしたので太平洋戦争中に空襲の被害を受けました。
呉から5キロ先の広では軍の工廠で戦闘機の組み立てをしていたので、やはりアメリカ軍の空襲を受けたと聞きます。
幸い呉と広に挟まれた阿賀は空襲の被害を免れたそうです。
ですから戦前の古い家屋が残っているんです。
その家屋の壁面には今でも飛行機からの襲撃を避けるために塗られた迷彩模様が残っています。

墨で黒く塗ってあるのがほとんどですが中にはベンガラで赤く塗った建物もあります。
こんな建物も直に無くなる運命でしょうが繊細な気まぐれ広島人は記憶に留めようと撮影したわけです。
珍しい画像でしょう!
そんな呉周辺の公園にオオバヤドリギが自生しています。
オオバヤドリギ(桑寄生)は中国では風湿を去る漢方薬として神経痛やリウマチに用いられます。
薬王堂気まぐれ通信使bP22でオオバヤドリギの花を紹介したことがあります。
その公園を囲む鉄柵を見て驚きました。
なんと40年前の薬王堂の看板があったんです。
看板の電話番号と住所が40年前のものでしたので判りました。
文字は長年の風雪でほとんど消えかけていますが正に先代が作らせた広告用看板です。
『漢方本草研究所』と銘打っています。
懐かしいな〜!


40年前の薬王堂看板↑

考えてみればこの広告のおかげでお客さんが薬王堂に押しかけて私も大学に行かせてもらったんですから・・・
そんな懐古趣味を満足させながら蒲刈島に到着しました。
島はミカン一色でした
最近は道路が整備されて自然の浜辺が少なくなっています。
そんな海岸道路に特産のヒジキが干されていました。


蒲刈瀬戸を挟んで対岸は白岳山↑

またウンシュウミカンの中に小振りなハミカンがたくさん実をつけていました。
広島ではハカリミカン(量り?秤?葉刈り?)と言って正月の縁起物に使います。
甘みが強くって香りもいい種類です。
マメガキが小さな実をブドウの房のようにつけていました。
中国原産の柿ですが柿渋を採取する目的で栽培されたようです。
親指ほどの実は熟しますと甘くて美味しいものです。


マメガキ↑

その他にもサネカズラ(美男蔓)・カラスウリ(土瓜)の実、シマカンギク(島寒菊)・セトノジギク(瀬戸野地菊)・シロバナセンダングサツワブキなどが綺麗に咲いていました。
瀬戸内の島には自然がまだまだ随所に残っています。


かつてはアビが飛来した豊饒の海↑

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