薬王堂気まぐれ通信使№809  2020-2-23
Yakuoudo Capricious Communications Satellite

久しぶりに広島自然観察会に参加してみました。


大鳥居は修理中


場所は宮島、集合場所は宮島の桟橋を下りて左手にある藤棚の下、9時集合とありましたのでJRを利用して出向きました。
責任者の方にお会いしたら「あんまり来んので死んじゃったんかと思うた!」と言われて・・・すみませんでした!m(__)m。


観光客の方は桟橋を下りたら商店街を通って鳥居を見て本殿にお参りするというコースが一般的です。
ロープウエイに乗って瀬戸内の島々を見るのも迫力がありますが宮島の本当の良さは人の行かない場所や歴史の痕跡、大自然が残っていることに魅力があります。
私も何十回も上陸したにもかかわらず今日のコースは初めてでした。
まず行ったのは要害山、ここは厳島合戦(1555年)で安芸の国を守備範囲にしていた毛利元就の出城(宮の尾城)があった場所です。
同年、周防(山口県側)で勢力を増してきた陶晴賢(すえはるかた)が安芸の国への勢力拡大にと厳島神社周辺に陣を構えます。
小競り合いの後に毛利方は地元の漁民を味方にして島の後方にある包ケ浦に大勢を上陸させ山を越え(博チ尾)て油断していた陶軍を奇襲したとか・・
逃げ惑う人の血で大聖院に向かう参道周辺は赤く染まったと聞いたことがあります。
武将の数勢は駒ヶ林に追い詰められ抵抗しますが兵糧攻めにあって数日で投降、岩場から身を投じた武将の鎧の破片が最近でも見つかった!との話も・・
大将の晴賢は大江浦を経由して山越えをして青海苔海岸に至り、そこで自害したと言い伝えられています。
有名な厳島合戦の概略です。
其の要害山にはイヌガシの花が満開でした。


イヌガシの花


イヌガシはクスノキ科の樹木です。
その他にもアセビ(ベニバナアセビ)やヒサカキの花も咲いていました。
この場所は昔、海に突き出た半島だったようで勾配のある南斜面にはオオイタビが張り付いています。
要害山から行者堂を経由して裏手の山道に入ります。


アセビと多宝塔


植物を見るにはここからウグイス歩道を経由するのも一つの方法ですが今回の先達は違うコースを選ばれます。
民家のある場所で車が入らない小径を歩きます。
どうも古道のようでした。
不動堂女人坂延命寺藏堂~紅梅の咲く山辺の小径と進みます。
途中、陸軍省と書かれた石標に出会います。
日露戦争当時、外国勢力の進行を阻止するためにと宮島には各所に砲台跡が残っています。
いつの世になっても戦争という影が付きまとっているようです。
サカキカズラが所々にありました。
サカキカズラはキョウチクトウ科の蔓植物です。
実がはじけ中の種浮遊していました。
塔の岡に出てきました。


山辺の小径から塔の岡に向かう


五重塔


満潮時の厳島神社本殿


観光客の多い道を通り抜け社殿裏手を通ってもみじ谷に向かいました。
クスドイゲ大きな木があります。
岩惣旅館を過ぎてもみじ谷で一休み、近くで昼食にします。
この島には海の近くにモミツガカヤなどの針葉樹が自生しています。
鹿が食べないシキミホウロクイチゴミミズバイなどが目に付きます。
その他、ハマクサギオオモミジ・クスノキなどの広葉樹がありました。


民家のある小道


人家の庭先から見慣れない果実が出ています。
あとから調べたらナニワイバラという外来のバラ科植物でした。
今回は確認できませんでしたがヤマモガシやカンザブロウノキ・トサムラサキといった珍しい樹木も自生しています。
20年前、山崩れのあった場所でヒメフタバランを数株見つけたことがあったのですが絶滅したかもしれません。
その他、夏場、ヒメハシゴシダの中に生育するホンゴウソウヒナノシャクジョウなどがあります。
林床にはハルリンドウと思われる新芽が出ていました。
モミの樹肌クモランの花の痕(バルブ)が見られます。
大元公園まで歩きました。
浜辺にはカモ類などの水鳥が戯れていました。
マツの大木にマツグミが寄生しています。
実が紅く熟れ始めていましたね。


干潮の砂浜から参拝!


干潮時でしたので海から本殿に手を合わせ参拝を済ませたという一日でした。
宮島名物のアナゴめしよりは私が釣る地元のアナゴのほうが数段美味い!と自惚れています。
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