薬王堂気まぐれ通信使№727   2015-1-18
Yakuoudo Capricious Communications Satellite

1月18日 日曜日、広島自然観察会便乗して福山・鞆の浦地区にある仙酔島(せんすいとう)に行ってきました。
広島駅を早朝7時半に出発、三陽自動車道から福山西インターで一般道に入り草戸千軒(遺跡)を左に見ながら鞆の浦に入ります。
鞆の浦の船着場には仙酔島に向かう平成いろは丸↑が着岸していました。
いろは丸、かつて坂本龍馬が操っていた船の名前です。
幕末、動力船による運搬業(亀山社中)を起こした坂本龍馬の仲間(海援隊)は宇和島藩所有のいろは丸を借用し長崎から大阪に物資を運ぶことになります。
最初の航海中でしたが深夜、鞆の浦沖で紀州藩の大型軍艦船と衝突、どちらに落ち度があったのか判りませんが現在では深夜航行には航行灯(右舷靑・左舷赤・中心に白色標示灯)を灯さねばいけないことになっています。
一説に、いろは丸は表示灯を点けていなかった!(電気が無い時代だもんね)紀州藩の軍艦(明光丸)も見張りをつけていなかった!(夜中に航行する船などいない時代だもんね)などなど憶測は有るものの龍馬の巧妙な話術?や人脈の伝などにより紀州藩から莫大な賠償金(現30億円相当)を得たというもの・・・
時は動乱の幕末期、幕府側に近い紀州藩も坂本龍馬によって多額のお金を支払わされることになったのですからたまりません・・・
・・・半年後、坂本龍馬は刺客によって京都で暗殺されます。
坂本龍馬はいろは丸に最新式銃400丁が有ったと主張しますが最近の潜水調査によると銃や火器らしき残存積荷は全く確認されていないということです。
そんな複製いろは丸に乗船し仙酔島に上陸しました。


仙酔島 手前は弁天島


仙酔島の島の成り立ちを解説者から聞きます。
なんでも昔(9000万年前)に火山活動があって・・地殻変動が有り・・瀬戸内海が海になったり山になったりして・・現在があるということ・・
人類の祖先が出現したのが500万年前くらいと言われていますからえらい昔の様子が海岸の岩肌に刻まれています。
その岩肌、ツメレンゲの群落がありました。


いろは丸事件の少し前、1826年、日本に滞在していたシーボルト一行は江戸幕府への拝礼航路の途中に仙酔島に上陸、岩場のツメレンゲを採取します。
後にこのツメレンゲは基準標本とされ、ロシアの植物学者ヨハン・マクシモビッチにより新種(Orostachys japonicus)として発表されます。
ヨーロッパの植物学者たちに紹介された最初の日本国瀬戸内海自生植物とされています。
次の年、長崎からオランダに帰る予定の商船が台風で大破し積荷から禁断の日本地図や将軍衣、幕府に関わる資料が流れ出し浜に打ち上げられます。
多くの日本人関係者が処罰されたシーボルト事件です。
シーボルトは国外退去を命じられヨーロッパ(オランダ商館在ですがドイツ人)に帰ります。
日本滞在は7年間でしたが、このときに日本人女性との間に娘が一人出来ています。
ツメレンゲの花の時期は終わっていました。
仙酔島で確認した植物を草木不順に紹介しましょう!

イチヤクソウ
ウバメガシ
オカヒジキ
カワラヨモギ
クスノキ
クチナシ


クチナシ


コウボウムギ
コセンダングサ
コマツヨイグサ
サンゴジュ
シャシャンボ
シャリンバイ
スイカズラ
タイミンタチバナ
ツボクサ
トベラ
ハマナデシコ果実痕
ハマボッス
フサアカシア(ミモザ)
ヤブニッケイ
など・・

帰り鞆の浦地区に行ってみます。


鞆の浦


湾内に橋を架けるか!架けないか!でもめているようです。
保命酒を売ってた旧醸造元がありました。
店の軒先にツメレンゲが・・


ツメレンゲ(生薬名=瓦松)


漢字名で瓦松(がしょう)と示されています。
薬として用いられており腫瘍や潰瘍の消炎に効果があったようです。
近くの保命酒店横に原料らしきものが放置されていました。
丁字・地黄・山茱萸は確認できます。
その外この店の保命酒には杏仁・芍薬・山薬・白朮が入るそうです。
15年前に福山の友人からもらった保命酒は未だ封を切っていません。
友人は2年前にあの世の人となりました。
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