薬王堂気まぐれ通信使№706 2014-3-16
Yakuoudo Capricious Communications Satellite

今日は記録ということで綴りましょう!
3月16日、ヒコビア会も共催する植物観察会に参加してきました。
場所は東広島市・志和町にある生城山(おおぎやま)標高485メートル、初めて登る山です。
初めての場所は興味深いものです。


右・光源寺の裏山より登山開始


午前10時に志和東にある光源寺(こうげんじ)前に集合、春の草花が咲いています。
ナズナ
ホトケノザ
オオイヌノフグリ
タネツケバナ
オランダミミナグサ
つくし(スギナ)


タネツケバナ(茎に毛がある種類などもあり区別するという・・)



観察会では昔の知り合いはほとんどいなくなりました。
中に一人か二人いるだけです。

光源寺を出発して直ぐに尾根筋の一本道に入ります。
参加者は35名くらいいたでしょうが狭い道なので一列になります。
先頭を歩く指導者の話は聞き取れませんでした。
前が止まると後ろの人達も停滞して、、、
どの辺りなのか?もわからない単調な登山が続きます。

先頭の指導者から落ち葉の名前が伝えられます。
よく見ると「ウラジロノキ」、私の前の人は「ウラジロ」だと手渡してくれました。
ウラジロノキと訂正して後進に手渡しますが2~3人後ろの人まで手渡されると「ウラジロガシ」だとの声がしてきます。
伝言とはいい加減なもののようです。
シャシャンボ
ソヨゴ
クロキ
ヒサカキ
ヤブツバキ
コバノミツバツツジ
カクレミノ
テイカカズラ
イタビカズラ
アカマツ
リョウブ
タカノツメ
コシアブラ
イヌツゲ
スノキ
イワガラミ
ヤマフジ
イヌガヤ
アラカシ
タブノキ
ホソバタブ
ヒイラギ
シラカシ
ネズ
タラヨウ
シロダモ
ヤブニッケイ
シキミ
マンリョウ
ヤブコウジ
ムベ
コナラ
乾燥した山の樹木が目に付きます。
やっと頂上付近にまで来たようです。


北方面、中央は志和堀の町


三方をぐるりと田園耕地に囲まれ、それを見下ろすように生城山がそびえます
山頂には大きな岩の塊が何個かあって10頭あまりのヒオドシチョウが乱舞していました。


ヒオドシチョウ


見下ろす一帯(西方面)は鎌倉時代以前から米作りに適した場所(志和堀=中央に酒造所がある)だったのでしょう!
西暦1500年初頭には天野一族がこの地を治めていましたが伯耆(島根県)を勢力圏としていた尼子氏に近かったために長州(山口県)の大内氏に攻撃されます。
広島県の中央、吉田周辺に勢力を持っていた毛利(元就)一派の仲介もあって大内氏と和議を結び関が原の戦い(1600年)翌年まで天野氏の管轄する領地であったと記録に有りました。
地域を見渡せる生城山山頂には天野氏の居城があったとあります。
時は戦乱の世、往時を偲ばせるものは岩に彫られた柱穴が数個あるとのことです。
一段下りた二の丸跡付近にチャノキが有りました。
当時の人が茶を嗜むために植えたものだと思われます。
そこを下るとタラヨウの木が一株だけ有ります。
タラヨウは陀羅葉と書きますので仏事に使われたのか?
付近にお堂があったのかもしれません。
タラヨウの葉の裏に熱棒で文字が書けることから切手を貼ってハガキとして使えるようです。


天野氏が住居としていたという光源寺近くまで下りてくるとフキノトウが有りました。
アカメガシワの古木キクラゲがついていました。
フキノトウを味噌に和え、キクラゲを汁に入れて食べた古人がいたのだろうと一日を振り返りました。
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