薬王堂気まぐれ通信使bU76  2013−1−14
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私の薬局名は「薬王堂」といいます。
名前の由来はどうなんでしょう?
今から55〜56年前、両親が薬店を始めた時からこの店名を使っています。
母親からこんなことを聞いたことがあります。
「薬王堂いう名前はじいさんが付けてくれた!」
紹介したことがあると思いますが私のじいさんは真言宗の僧侶でした。
母親は薬店を始めるにあたって末永く繁栄する店名をじいさんにゆだねたというわけ!
当時、じいさんは高尾山にある岩谷(観音)寺を任されていました。
ずいぶん、高所の寺でしたが歴史も古く戦前に荒廃した寺の本堂を昭和28年頃建て直します。
私は5歳前後、じいさんは50代の働き盛りでした。
その他にも10箇所以上に寺建造物を建て信者からの信頼も厚く、飛ぶ鳥をも落とす勢いがあったと聞きます。


下界と寺の往復をする途中、道隆寺を過ぎた辺りから新四国八十八寺を模した石仏が現れます↑
これは四国霊場に行けない信者の為に道隆寺が簡易の霊場巡りとして安政年間(1820年頃)に設置したといわれています。
簡易といっても斜面の多い場所に石仏は散らばり一巡するまでには苦行を強いられます。
その中で一番目のつきやすい箇所にひとつの石仏があります。
その石仏の番号はbQ3、四国霊場で示すところの23番札所は徳島県にある薬王寺です。
第二十三番 薬王寺、薬師如来と石碑には刻まれていました↓


確かに薬王寺は四国霊場二十三札所、薬師如来を本尊とする霊験ある厄除祈願所として有名な寺です。
じいさんは、母から薬店の命名を求められ、この石仏に刻まれていた字に注目したのでは!と私は直感的に思いました。
標高500mの山中には1200年前に建てられた寺屋敷跡が残っています。


そこは薬王寺という寺建造物があったと記録に示され、道を下り降りた場所に道隆寺はあります。
道隆寺の上にある岩谷(観音)寺は岩が屋根となる場所


頂上が高尾山、すぐ下に岩谷寺跡があります。


薬王とは医王と通じ、大変に縁起のよい名前を付けてくれたものだと、じいさんに感謝する次第です。
薬王堂は創業以来、55年が経過し私で二代目、この先どうなるんでしょう。
高尾山の頂上に立ち広島市を一望します。


寒風が頬を横切りました
帰途、道隆寺の下辺りでシマカンギクチャノキの花を見つけます。
シマカンギクは眼の薬として用いられる海岸に多い野生の菊です。
チャノキもやはり薬用とされ過去に栽培されていたものが野生化したもの、
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