黄金山のふもとです 北大河はええとこじゃけん
Imagine All The People Living Life In Peace.
2025年 新春 巳から出たへび~ ノーベル平和賞受賞、良かったですね。 本当に大切なのは、これからだと思います。 夫婦とも被爆2世です。微力でも無力ではない。 平和公園のガイドも夫婦でやらせてもらってます。 まさえは毎朝、黄金山小学校の奏太と明日香の 登校の見守りも頑張ってます。 恒太は、中学生。テニス部です。 律樹(4歳)は、乗り物好き。 車の名前が、めっちゃ詳しいです。 ひさはるは、「平和は家庭から」をモットーに、 身の丈に合った、無理のない生活をめざしています。 (詳しくはFacebookで) 今年も、松井ファミリーをよろしく。 |
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『向洋の歴史講座』 ・・・・・・2020.12.5.
青崎公民館で、<向洋歴史学習>講座がありました。
前に、「双津」のことが、話題になりましたよね。
今は、開発されて洋光台と呼ばれる大きな団地の南側の海です。
昔は、向洋の人は泳いだりもしていました。
講師の先生に、聞いてみました。
「元々、『總津』だ」と。
確かに、大きな津と小さい津があったので、当て字として、「双津」がでてきたのではないかと。
他の話も、かいつまんで。
@ 向洋は、元は向灘でした。灘は、海の難所です。
それに対して、洋は穏やかなイメージ。
穏やかな方を選んだのでしょうね。
仁保島から見て、対岸。向かいの灘(洋)。
@ 島と島の間を、「瀬」と言うと。「戸」は場所を意味し、「門」になる。
それに取り囲まれているのが、瀬戸内海。
その両端が、門司と鳴門。「門」が入ってますね。
では、「青崎」は? ーーー崎は岬と同じ。府中は、役場があった場所。
そして、向灘の崎が伸びてきて、府中の崎と出合います。
合う崎が訛って、青崎になったと。なるほど。
それで、府中町の方にも、青崎という地名がありますね。
@ 浅瀬になったところを、広島は大昔から埋め立ててきました。そこは、新開と呼ばれます。
昔は、白神さんのところが海岸線だったと。比治山も黄金山も島です。
大河から皆実町にかけて、皆実町新開。翠町中のグランドには、調整池が。
観音には、観音新開。南観音公民館。総合グランドの南には、大きな調整池が。
宇品には、競輪場の辺りに調整池がありました。
埋め立てた南の端には、必ず調整池が作られました。
落ち着いた時点で、埋め立てられます。
@ 青崎の辺りも、浅瀬だったので、埋め立てられました。
青崎新開と呼ばれてました。だから、道が縦横きちんとした碁盤の目。
そこで、綿の栽培が行われていましたが、堰が切れて塩水が流れ込んで、
畑が駄目になります。塩田にしたらしいです。
@ 赤バスが、大原方面に向かうために入り込む道の入口に、六角堂があります。
仁保橋の東詰のところです。これは、埋め立て前には、灯台の役目も担っていたのだと。
製塩業を仕切っていた黒田弥吉郎さんが、関わっていると。
@ 向洋駅とマツダの関係は、強いです。小さい駅なのに、乗降者数は、広島県でも上位です。
松田重次郎さんのお墓が、わかりますか? 国道2号沿い、洋陸橋の北。
東洋工業(マツダ)の創業者の、松田重次郎さんのお墓は、青崎と向洋本町にまたがる丘の上にあります。
マツダの見渡せます。(うちの墓と近くて、小学生の頃は、遊び場でした)
ーーー重次郎さんは、向洋の人。
「自分は貧乏しとったから、向洋のためにここに工場を作ったんよ」
ーーーマツダも向洋駅も、100周年。
<向洋半島>HP
<青崎・向洋探索>
青崎小学校の同級生から、連絡がありました。
日本製鋼所とマツダは、深い関係にあったんですね。
向洋駅も、東洋工業も、日本製鋼所広島製作所も、100周年なんですね。
2007年に日本製鋼所が創立100年を迎えた際にもらった社史を確認してみたのですが、 |