薬王堂気まぐれ通信使bQ85  2005・1・23
Yakuoudo Capricious Communications Satellite

遠く鹿島を望む↑尾立の海岸から
23日の日曜日は倉橋島に行ってきました。
万葉を偲ばせる桂浜(かつらがはま)で休憩をしましたが去年の台風で多くの松が倒されていました。
気まぐれ広島人は倒れた松の年数を調べてみたんです。
ひい、ふう、みい、・・・
年輪を正確に数えるのも一苦労です。


3本くらい調べましたが、概ね150年から200年くらいの間でした。
樹形から判断しまして長生きの松でも約250年のような気がします。

側では石を切り出していました
倉橋島の石は有名で国会議事堂もここの花崗岩で造られています。
皆さんは知ってましたか?

今日の目的は鹿島のセトノジギクを見に行くことでした。
鹿島は30年前に大橋が出来る前まで孤島でした。
鹿島の手前が鹿老渡(かろうと)です。
ここは風待ちの宿場で江戸時代から名の知れた漁村でした。
家並みは宿屋を含め約50軒が島と島を結ぶ中州にあります
昔、ここでは風待ちをする旅人のために三味線を弾く女衆が多くいたと言われています。

鹿老渡で神社に登りました。
海の見える境内の端に大砲の弾が一つ!何故ここにあるんでしょうね?

鹿島大橋を渡ります。
橋が出来たすぐの時にここによく来ました。
当時、家から車で2時間半はかかりました。
仕事を終えてこの橋の上まで来て釣り糸を垂らすんです。
大きなアジがよく釣れました。
でもほとんど途中で落下してしまいます。
それに下を通過するタンカーに糸が引っかかるんですね〜
若かったな〜!

セトノジギクの咲く鹿島の自然海岸↑
人の居ない斜面にセトノジギクがたくさん咲いています。
今日はこれで満足です。
帰り道、室尾の老人医療施設の前を通り過ぎようとしますと休日にもかかわらず見覚えのある人物が中を歩いているではありませんか!
40年ぶりに会う中学校時代の同級生です。
彼はこの施設を経営する理事長です。
他にもグループホームや医院を経営しています。

『おい!森(仮名)!』

懐かしいですね〜
従業員もトップを呼び捨てにする気まぐれ広島人を怪訝な顔つきで見つめます。
彼のよく知る室尾の喫茶店に行きました。
積もる話もありましたがお互い40年前とちっとも変わっていないようです。
違いは鼻の下に蓄えたちょび髭だけです。
私達は戦後の団塊の世代です。
しかし彼は特に優秀な男でした。
喫茶に同伴した従業員の曰く!倉橋町を背負って立つ人物だそうです。
そうしときましょう。

話し終わるころ、あたりは暗くなり夜空には冬の星座が輝いていました。


正面=小情島、そして瀬戸内の冬の星座↑

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