薬王堂気まぐれ通信使№780  2018-2-18
Yakuoudo Capricious Communications Satellite

2月18日(日曜日)ヒコビア会の共催する植物観察会に参加してきました。
場所は広島駅から北に見える二葉山(標高138m)でした。
二葉山はシリブカガシの純林があることで有名です。
頂上から少し下に水の涸れない神聖井戸があります。
午前10時にJR広島新幹線口に集合し東照宮から登山を始めます


解説者からの話しから日本の近代歴史を紐解いてみましょう。
明治37年に朝鮮半島周辺の利権争いから日露戦争が勃発します。
当時、東京から鉄道が引かれ広島が終点であったことより短期間ながら大本営が広島城敷地に設置されます。
広島の宇品港から兵隊や物資を大陸に輸送するにあたり宇品線(昭和53年撮影)↓が開通します。
当時、宇品は軍港関連地区として大いに栄えました。


1925年(大正14年)の広島駅周辺地図 赤い印が今回歩いたコース

日露戦争以降も軍の力は増強され宇品線沿線には重要な施設が建造されます。
兵隊に配られる衣類や靴などを製作する被服廠、傷病兵の看護施設や弾薬の製造備蓄も宇品線沿線で行われるようになります。
比治山では陸軍関係の墓地が造られ死者を軍神として祀ります。
明治から昭和にかけて軍力強化政策が広島の地を変貌させてきました。

明治以前になりますが1555年に厳島合戦で勝利した毛利一族は、それまで太田川の三角州だった陸地に城を構えます。
中国山地で行われていた、たたら製鉄によって大量の土砂が太田川に流れ込み広島湾では三角州が発達します。
それまでは漁村が点在する瀬戸内海独特の穏やかな風景が広がっていたことでしょう。

話は近年に戻りますが軍都市として大きくなった広島は二葉山周辺に陸軍東練兵場を造ります。
二葉山からは一帯が見渡されることより一般人の入山は禁止されます。
頂上付近には高射砲設置され軍関係者の寝泊まりする兵舎(建物の石垣)が建造されました。
第二次世界大戦においてアメリカはこのようなことを熟知していたと思われます。
結果、無傷状態であった広島市中心部に原爆が投下され、数日後終戦を迎えます。
戦後、二葉山周辺の一部軍施設地区に開拓団が入植します。
昭和41年、開拓団の有志が広島を一望する二葉山頂上に平和を願う仏舎利塔を建造し広島市に寄贈したという・・


二葉山頂上から見る広島市と島しょ部


ヤブツバキの咲く、そんな山に登ってきました。


春を知らせるヤブツバキの花


気が付いた植物を見た順に記録してみましょう。

アラカシ
クロキ
ヤブツバキ
イヌビワ
シリブカガシ ()
ツワブキ
ムクノキ
オガタマノキ
マンリョウ
ヤツデ
ベニシダ
クロガネモチ
タラヨウ
コシダ
シャガ
ネズミモチ
カナメモチ
コジイ
コウヤボウキ
アベマキ
クスノキ
トラノオシダ
カゴノキ
シイ
ネジキ
ウチワゴケ
ミチデウラボシ
マルバハギ
タブノキ ()
ノグルミ ()
ナナミノキ
ヤマモモ
コナラ
ニワウルシ(シンジュ)
イスノキ(ヒョンノキ) (蟲えい)
・・・
蛾のサナギ
・・・

二葉山頂上から西側の尾根を下り広島藩の重要な寺社であった明星院饒津(にきつ)神社に降りてきました。
午後2時過ぎ、観察会を終了し帰宅・築20年となる水回りの故障した箇所修理をして夜の海に出たという、気ままな時間を過ごしました。


夕日の沈む瀬戸内海

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