薬王堂気まぐれ通信使bQ55   004・6・17
Yakuoudo Capricious Communications Satellite

最近、薬王堂気まぐれ通信使も不定期になりましてすみませんです。
前回は間違いが少しありましたので訂正させていただきます。
二頭の蝶がいましたね。
モンシロチョウと書きましたがモンキチョウのペアだそうです。
下がメス、上がオスだそうです。
下のメスがお尻を上に突き出していました。
てっきり結合成立のサインかと思いきや?拒否の姿勢なんだそうです。
かわいそうなオス、昔の私を思い起こさせるような画像だったんですね。

先週の日曜日に近くの元宇品公園に行ったんです。
ここは車で行くことができるんですが入り口付近の橋によって分断された島なんですね。
真下が橋右の山が元宇品の原生林です。
私は時々訪れます。

人はどれくらいまで記憶をたどる事ができるのでしょうか?

私が3歳の時、能美島の大君から引き舟に乗って宇品の『市営桟橋』付近に着きました。
本土への引越しのためです。
昭和27年あまり寒くない季節でした。
私の生まれたのは昭和24年7月、暑い盛りです。
妹は昭和28年の春に生まれています。
ということで私は3歳と少しの時、家財道具と一緒に引き舟の船底に乗せられたのでしょう
船内の様子や座板に立って見れない海のことをはっきりと思い出すことができます。
しかし、その前の島での生活が思い起こされるのはなぜなんでしょうか?
おそらく3歳前の記憶だと思います。
ばあさんと井戸端で煮干を糸にくくりつけてカニを釣ったこと!
十円札二枚をもって散髪屋に行き坊主頭にしてもらったこと!
路地裏で釘を地面に立てて友人と遊んだこと!
・・・ ・・・ ・・・
そんなかすかな思い出が今でも駆け巡ることがあります。
で・・・その前は2歳であり、1歳であり、母親のおなかの中のはずなんですがそれが無でもなく∞でもないような気がします。
人はどこまでが遡れる過去なんでしょうか?
これからどこまでが自分の記憶として残るんでしょう?
記憶とはいったい何なんでしょうか?
記憶はあまり意味の無いことだと思いますが今を生きるためには必要かもしれません。
そんなわけで産婆さんに逆さまに吊られた妹の出産時も思い出すことができます。

今日は哲学者でしたね!

元宇品の山は国有林です。
鋸刃の入らない原生林にはいろいろな生き物がいます。
逆光に光るガ
今にも咲きそうなコクラン
サンゴジュの花の蜜を吸うアオスジアゲハ
深紅のタチアオイ!
白い灯台の下では家族の笑い声が聞こえてきそうです。


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