●今日の広島は55年前に原爆が投下された暑い日!と同じく重苦しい一日の始まりです。79才・三上万年青年と植物観察の目的で安芸の宮島に渡りました。目的はヒナノシャクジョウという小さな植物!結局、見つけることは出来ませんでした。
谷を登った中腹の茶店で冷たい抹茶を飲みながら画像の宮島の鳥居周辺パノラマ写真を撮影しました。三上氏は植物だけでなく歴史にめっぽう強くこんな話しもしてくれます。休憩しているこのあたりは今から450年前の厳島合戦【1555年10月1日】の折り、毛利元就【もうり・もとなり】と戦った陶晴賢【すえ・はるかた】が陣を張った場所だそうです。陶【すえ】家は本来・山口県の大内【おおうち】氏の家来でしたが大内氏に反感を抱き、後に主君をあざむいて勢力を拡大するようになります。当時東の安芸【広島地方】には
NHK大河ドラマでお馴染みの毛利元就が勢力を維持しており、当然、毛利元就と対峙するようになります。陶=すえ・と読むほどに彼の先祖は大陸から陶器類を焼く技術を持って渡来した民と言われています。大内氏一派は大陸との交易で莫大な財を築き上げ領地の山口市あたりは西の小京都の風情を残し、萩などの有名な陶器製作場を各所に造らせました。陶晴賢の陰謀で大内氏はその後、滅亡しますが大内と毛利の間には長男・毛利隆元【たかもと】の子を人質に出していたという事実関係もあり、陶晴賢の宮島侵攻に対して元就を長とする軍勢は元就の次男=吉川元春【きっかわ・もとはる】、三男の小早川隆景【こばやかわ・たかかげ】の率いる村上水軍系の力も借りて一気に陶晴賢の軍勢を壊滅したと言われます。・・・三上歴史博士氏口上・・・歴史音痴の私ですが植物を観察しながらこんな歴史浪花節を聞けるのもいいもんです・・それで続きですけれど、陶晴賢の2万の軍勢に対し毛利系の1万五千の軍勢が優勢勝ちを収め、宮島山中を逃げ惑う陶方の侍を毛利勢は執拗に追いつめて殺したと言われています。その血は谷を赤く染めー血の瀧ーと名を残す場所さえあると聞きます。弥山【みせん】や駒が林などの断崖から谷に突き落とされた兵の鎧や帷子【カタビラ=肩や腰を守る鎧の一部】は土と化し朽ちてはいるものの、いまだに岩の割れ目から時々発見されると言いますからすざましいですね。
ホツツジの花↓
とは言っても宮島=厳島は神の島=神域でしたので戦勝した毛利元就は死者や負傷者をいち早くこの島から離れさせ血に汚れた土は海中に投じ、本殿の回廊や柱は潮で洗い、床板を新しいものに代えたと言われています。ついでながら宮島には火葬場も墓も一切ありません。島民の死者を島外に運ぶ専用の桟橋は大元公園わきに有りマイボートで乗りつけるに大変便利です。なぜかって?人が寄りつかないのでいつも空いているから!
包が浦・地御前・瀧小路といった合戦にゆかりのある地名も歴史の中に登場してきます。興味深いでしょう!こんな角度から宮島を訪れられましたら更にいいかもしれません。ヒナノシャクジョウは見つけることは出来ませんでしたが悠久の歴史の話しに満足して宮島を後にしました。午後、佐伯町の万古渓【ばんこけい】に立ち寄りましてホツツジ→の花を鑑賞し帰ってきたというわけです。途中、猛毒のベニテングタケかと思い撮影したキノコは図鑑で調べたらタマゴタケ【ホーム頁表紙画】という美味食用のキノコと解り新しい発見でした。 戻る