●昨日は万葉の時代から百済船・唐船が立ち寄ったといわれる瀬戸内の倉橋島に行きました。
陸路、白い砂に松林が残る桂浜(かつらがはま)を経由して島の端、鹿老渡(かろうと)に到着します。
今でこそマイカーで広島から2時間で行けますがほんの60〜70年前までは陸路も整備されず但、潮の流れと風を頼りの帆船による交流しかなかったはずです。
ここ鹿老渡は江戸時代から、日向の殿様が参勤交代で上江戸する折り宿をとった場所として名を残します。
その証にお宿の骨築材は日向杉で構成され室内で槍を振り回せないよう!天井が低く作られているという・・・
また西の長門<山口>・九州方面から東の備前=岡山・阪神地区を結ぶ海の宿場、及び荒天時の避難場所としての役目を果たした港と聞きます。
当時から残る白壁の宿坊【お宿】の海側裏山にはかつて芸者衆だったと思われる女人墓が無造作に安置されています。
近くの漁村では女子の習い事として幼いうちから三味線を教える習慣が受け継がれていると聞きます。
鹿老渡から先の鹿島(かしま)の間は250メートルほどの渦巻く海峡ですが25年前に橋が架かりました。その鹿島大橋を渡り、鹿島の南端に車を走らすと道の途切れる場所に集落があります。
画像の石を積み上げた段々畑の風景はイタリアのシシリア島でもなければトルコのカッパドキアでもありません。『耕して天に至る』と言っても過言ではない鹿島独特の段々畑風情が随所で見受けられます。
栽培されるものは薩摩イモかジャガイモ・カボチャ・空豆・瓜といった乾燥に強いものばかりが目に付きました。米は栽培できません。何世代にも渡って積み上げられた石雁木(ガンギ)でしょう。じいちゃんのじいちゃんのまたそのまたじいちゃん×じいちゃんのひいじいちゃんの時代から積まれ修復された石組み段々畑です。古=イニシエを想像しながら干上がった浜を観察しましたら数種類の小動物を発見しました。赤い乳房の集まったようなものはホヤです。これは内皮の柔らかいところを剥ぎ取って食べると実においしい!
黒く伸びたように横たわりますのはナマコ=Seacucumber
です。これも冬に採取して腸と卵巣を引っ張り出し食べたら喉越しに独特の香りが漂って絶品です。もう一つ、アメフラシは貝の仲間ですが貝殻は退化しています。海のナメクジのような存在ですが背中の割れた場所から濃紫色の毒気汁を出して敵を威嚇します。これも食べるとおいしいと聞きますが、さすがに美食を旨とする私は経験がありません。浜辺にはアメフラシの黄色のソーメンのような卵塊があちこち産み付けられています。その他にも食しておいしいヘビガイ・セトガイ・各種のツブ・ウニなどが目に付きます。
帰り道、宮島瀬戸を見下ろす明治時代の砲台跡に登ってみました。
その山手にはホソバモミジイチゴの透明の赤い実が熟れていました。ホーム頁表紙画に使っています。
画像が多くなりましたが悪しからず!!!!!!!!!
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