広島県の巨樹を観察しに県北に行ってきました。
●まずは豊平町に入りました。琴谷という町にアスナロという巨木が有りました。アスナロの意味は葉がヒノキに似ている為に、明日はヒノキになるだろう!という意味で付けられたと聞きます。
私は勝手にヒノキになれば材が高く売れるから!という意味に解釈しています。
この琴谷のすぐ近くに中原という集落が有るのですが、そこは私の母系の先祖が住んでいた村です。今から45年前になるでしょうか母に連れられて中原の叔父の家に泊まりに行き近くの宮で神楽を見た事を思い出します。夜でしたが裸電球の下、やまたのおろち(大蛇)や大きな鬼の面を付けた舞手に驚かされた記憶は5才の子にはよほど強烈だったんでしょう。いまだにはっきりとその場面が蘇ります。
当時はバスがすでに有りましたので何とか広島から中原まで半日がかりで行く事が出来ましたが昔の人はどうしていたんでしょうかね。歩いて、てくてく山道を越えていたんでしょうね。この辺は熊が頻繁に出没する場所ですので恐かったでしょう。
事実、母はバスに乗っていて車の前を熊が横切った!と言っておりました。今日でも【熊出没に注意】という看板を見ました。今は冬眠中。中原を過ぎ千代田町に向かう途中、吉川元春の居城跡と墓碑を見ました。
吉川元春は毛利元就の次男でNHK大河ドラマ・葵の関ヶ原合戦に出陣した人物です。史跡を発掘していたんですがトイレ【厠】の跡から当時の食生活がわかると説明に有りました。どうでも梅干しの種やら瓜の種、それに寄生虫の卵やその寄生虫の虫下しにベニバナを服用していたらしく大量のベニバナの花粉が確認されたそうです。
それにしてもこんな大田舎から関ケ原だの九州に軍を率
カヤラン↑
いて移動していたのですからタフですね。
2〜3千人の軍を率いて移動はどうしていたのでしょうか。食事は?トイレは?朝はトイレの前に何人も並んでいたんだろうね!臭かったろうな!なんて三上万年青年と談義しながら車を走らせました。
千代田町に入りますと民家の二階の軒下に青く塗られた板状のものが下がっていました。
これは【うだつ→】といいます。
一家の主人が財を成した証に家を建てる時に作らせたものです。
うだつが上がらない人!というのは一人前の事が出来ないでうだつを作らせる余裕が無い人!諺です。
隣からの類焼を防ぐ防火の役目も有ったそうです。我が家を新築する時に【うだつを付けようか】と工務店に言ったら笑っていましたが、私の遊び心に少し本気になった気配も見られました。
二年半前の事です。ディスク辞書広辞苑の説明を附記しておきます。
画像はカヤの大木に着生していましたラン科のカヤランです。
手の届かない高いところにはびっしりと付いていたのが印象的でした。