薬王堂気まぐれ通信使bP80   2002・11・17
Yakuoudo Capricious Communications Satellite

17日の日曜日、私の母校の薬科大学同窓会が広島市内でありました。
懇親会に先立って研修会があり大学で教鞭をとる私の後輩が講演いたしました。
後輩と言いましても医療薬学教育を研究する立派な学者です。
一応、通信使紙面では後輩の串山君(仮名)と紹介いたしましょう。
彼にはじめて会ったのは今から33年前、私が薬大の男子寮にいた時です。
私が二年生で彼が新入生として入寮してきた時です。
当時の寮は十畳くらいの部屋に先輩一人、後輩2〜3人が同居する相部屋制でした。
高校時代まで柔道をしてきた串山君は体格も大きく背筋がしゃんとした礼儀正しい青年でした。
彼とは同室になり、話をする時もちゃんと私の目を見て受け答えする好青年でした。
寮では4年生と3年生が15人くらい、我々二年生は4人、新入一年生は約50人くらいいました。
二年生の役目は新入生の生活指導と規律を守らせること!
と・・言いましても実際そんなものではなかったんです。
男子寮は学年序列の封建社会そのもので先輩の言う事には絶対に逆らえなかったんです。
時にはいじめや暴力もまかり通る環境でした。
私も生意気だったんで一年生の時にはいじめられましたねー!
逆にかばってくれる先輩もいました。
そんな生活の中、私は二年生になっておごりや開放感も有ったんでしょう!
下級生にずいぶん無理を強いたように思い出します。
大学から帰ってからの部屋の掃除、挨拶、言葉使いなど・・・
同室ですからプライベートな時間もありません。
4ヶ月くらい経った頃、一年生は全員信州の分校実験棟で泊り込みの薬学実習をする期間がありました。
新入寮生にとっては窮屈な寮生活から離れられる開放的な時間です。
ところが・・・その実習期間が終了しても寮生が信州の寄宿舎から出ようとしなかったんです。
つまりもう男子寮には帰らない!と、立て篭もりストライキをやったんですねー!
先輩には絶対に逆らってはいけない寮生が我々に反旗を掲げちゃったんです。
その先導役の一人が串山君だったと私は想像しています。
私も説得に行きましたが一週間くらい立て篭もっていましたねー!
そんな事件があって後、串山君をはじめほとんどの寮生は寮を去って行きました。

今思えば彼らは当然の事をしたのです・・・
当時の私は世間離れした男ばかりの共同生活を逆に楽しんでいたのかもしれません。

それから33年目の地方同窓会!串山君は立派になり(画像中央)大学の代表の一人として講演に来てくれました。
私は彼にどうしても何かの償いと言うか!お詫び?でもないけれど私の気持ちを示したくて朝から瀬戸内海に釣りに行ったんです
東京暮らしの彼に内海の新鮮な魚を食べさせたくて・・・
大きな鯛では持ち帰るのが不便だろうし、ハマチ一本は恐縮するだろうと思ってギザミを釣ることにしました。
生憎、数日前から寒くなりギザミも冬眠準備でしょう!たくさん釣れませんでした。
持ち帰るのに丁度いいくらいの数=20匹くらい釣れたので氷を詰めてプレゼントしたんです。
私の妻に言わせると『こんな小さな魚を持ち帰らすなんて・・先生も気の毒にねー』だって!

今、瀬戸内海は秋模様!紅葉がきれいです。



イワシを曳く舟がゆっくりと前を横切っていきました。

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