薬王堂気まぐれ通信使159  2002・6・25
Yakuoudo Capricious Communications Satellite

古い写真を整理していましたら塩田の写真が出てきました。
昭和25〜30年頃の瀬戸内の様子でしょうか?
私の父が撮影したものと思われます。
手前の電信柱が流動的に写っていますので汽車の窓から撮影したものでしょう。
場所はわかりません。
でも、これほど広い浜があり、施設規模からして竹原辺りではないでしょうか?
一つは入り浜式塩田の写真、もう一つは流下式塩田の写真です。
入り浜式塩田は江戸時代から受け継がれた製塩方法です。
砂で囲った枠の中に海水を入れ太陽光で水分の蒸発を待つという気の長い製塩法です。
昭和30年頃、尾道に行く途中の海岸に四角の升目状の入り浜式塩田が広がっていたのを覚えています。


入り浜式塩田↑


流下式塩田↑

流下式塩田は竹の枝を何段にも重ねてやぐら(枝状架)を組み、その上から海水を流すという仕組みです。
竹の枝を流れ落ちる間に日光と風の力で水分が蒸発して塩分濃度が高くなります。
滴り落ちた海水(鹹水)を集めて煮詰めると製塩の効率が上がるということですね。
この流下式は大正から昭和になって優秀な押し上げポンプなどが開発されてから発達した製塩法でしょう。
しかし、流下式塩田もそう長くは続きませんでした。
外国から安価な塩が輸入されるようになったのと、イオン交換幕による電気透析製塩法が確立されたからです。
それに自然の力を利用する製塩法は濃縮の過程で膨大な量の焚き木を必要としました。
今でも呉線沿線・塩田跡地の周辺では山の木々が採り尽くされて禿山化したままです。

私事ですが23日の日曜日は大阪で会議がありました。
新幹線車中、昔、マツダのバタンコ(三輪自動車)の助手席に乗せられて三原辺り?の入り浜式塩田跡を眺めた記憶が甦りました。

そうそう、そんな訳で今回は植物の写真は無し!
それでは可愛そうですので我が家の庭で今、咲いていますコクラン↓の画像を添えておきましょう。


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