こんにちは!皆さん!母の日はちゃんと態度で示しましたか?
私はちゃんと仏壇に手を合わせて過去の親不孝を詫びましたよ。
隠岐の牛↓摩天崖にて
●今日は隠岐島旅行記の第二弾ということにいたしましょう。
隠岐は二つのグループの島々があると説明しましたね!
私は島前『とうぜん』の西ノ島に行ったことを先週お話しいたしました。
そこには後醍醐天皇が約一年間、滞在していた黒木御所があったことにも触れましたね!
はじめは何も思わないで黒木御所という名前だろうと思っていましたらこれには意味があったんです。
『黒木』という意味は皮を削らない材木で作られた仮の・・・という意味があったんです。
万年青年に旅行記を電話で話していましたら、行っていないはずの彼がそんなことを言い出すものですから広辞林で調べてみたらやはりそう書いてあるんですねー!
逆に白木造りというのは木肌をきれいに削った材で建てた家屋のことらしい!なーるほど・・・
相変わらず物知りの万年青年!何で借家の黒木御所に住んでいるのか?不思議です(笑)
話しは隠岐に戻りますが島の民家を見ていて一つ気がついた事がありました。それは古い瓦屋根の棟の部分が石造りになっていた(画像↑)ことです。
おそらくこの建築工法は遠い昔から受け継がれてきたものだと想像いたします。
海から押し寄せる強風に屋根を吹き飛ばされないよう考えられたものでしょうが以前対馬に行った時にもこんな屋根を見たことがありました。
対馬では棟だけでなく瓦も石で作っている建物がありました。
私の想像ですがこのような石文化は大陸(朝鮮半島)から伝わったものではないかと?
帰りがけ島根半島の七類港でも同じような石棟家屋を見ました。
境港近辺でも何軒かこのような家屋を確認しました。
面白いですねー
ところが本日13日夜、通信使をメーリングリストで送信した直後、隠岐の焼火(たくひ)神社=松浦道仁神主さんからメールが届きまして以下↓のような説明が添えられていました。※ 島の屋根に乗ってる石ですが、あれはキマチ石といって島根県特産の柔らかくて加工しやすいものです。キマチ石は、屋根・墓石・鳥居などに使用され、江戸時代から隠岐島に輸入されていました。ただし、潮風に溶けやすい材質ですね。
◎ なるほどねー!松浦さん・・・ありがとうございました。ネットは遠方でも直ぐに情報交換が出来ますので便利です。直ぐに掲載させていただきましたよ!
さてさて、本題に入りますが島前の島には平らな山地を開墾して牛と馬を放牧しています。
昔は隠岐特産の牛・馬がいたそうですが現在はその血筋は絶えています。
隠岐は水田が出来ない乾燥した土地柄だけに昔から牛馬を放牧して土地を肥やし麦やマメなどの穀物を育てたそうです。
今では牛も馬も食用に供されます。
馬は九州などに送られて馬刺身用!牛は子牛を本土に送っているとのことです。
牛は人工授精で増やしますので全てメス牛!馬は種馬が二頭くらいいて後は全てメス馬!らしい。
この島ではオスの取り合いらしいです!この歳になって言うのも気が引けますが、なんともうらやましい・・・
本土から隠岐までの距離は約70キロ!焼火神社の神主さんから聞いたところによりますと昭和の30年頃までは島の若者数人が一艘の伝馬船で早朝4時ごろ船出して島根半島の七類辺りに、その日の真夜中(午後10時〜12時)頃に到着していた!と言いますからすごいですねー!
●前回紹介できませんでした隠岐の植物(咲いていたもの)を数点紹介しまして今日の通信使といたします。
ハマウド・ハンショウズル・ホウチャクソウ・フキ・イチヤクソウ・ジャケツイバラ・キリ・ナヨクサフジ・オキシャクナゲ・タイトゴメ・トベラ・ユキザサ
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