●本人が言うのもなんですが・・・通信使もよく続いていますね!
4月14日・第2日曜日は地元漢方研究会の月例会の日です。★会が終わったのが午後4時前。
一人で広島市の西方・小高い三滝地区にあります『日渉園』という広島藩薬草園跡に行ってきました。
看板紹介にもありますように日渉園は約200年前、広島藩直属の薬草研究と栽培をしていた場所です。
今では畑地は残っておらず当時の医者=後藤松眼が庵として使っていた庭園だけが残っています。
看板説明を見てみますと松眼さんの息子の松軒さんの時代=(1846年ごろ)蘭学医者で有名な高野長英(ちょうえい)が逃亡中に9日間ここに身を潜めていた!と書かれています。
高野長英さんは日本における西洋医学導入の先駆者の一人です。
当時の日本は幕政の元、外国との交流が厳しく禁じられていました(鎖国政策)。
しかし長崎の出島地区に限りオランダとの交易が認められていたこと!皆さんも歴史で習ってよく知っているでしょう。
医学に関しましても当時の医学=漢方医学に代わって蘭学(オランダ医学)の知識が出島から日本全土に広まった時代でもありました。
漢方は外科的な技術で蘭学に大きく遅れをとっていましたから!
1823年にオランダからシーボルト(医師・自然科学学者)が来日します。
高野長英は23歳の時、シーボルトの弟子になって蘭学の知識を彼から吸収したんですね。
優秀な弟子であったのでしょう!シーボルトから特別にドクトルの称号を与えられた
と記されています。このシーボルトさん!
博学・多才・多趣味・貪欲・色魔?の人物であったことから人脈を利用して日本の極秘情報を次々に収集しオランダ本国に持ち帰ろうとしたんですね。
ところが出航寸前に嵐があって舟が壊れ積荷が長崎の浜に打ち上げられてしまったんです。
その中には国の超極秘情報=間宮林蔵や伊能忠敬が作成した日本地図が有ったんです
!その他にも徳川将軍の衣装とか貴重な動植物の標本などが数多くありました。
シーボルトはこの事件(シーボルト事件)で国外追放!
多くの関係者(役人・医師・学者など)は死罪や投獄の刑となりました。
高野長英は何とかこの難からは逃れられたんですが幕府から目をつけられたんですね。
後に幕府の鎖国政策にいちゃもんをつけた!という理由から投獄(無期懲役刑)されます。
ところが5年後、牢屋が火災にあって獄から放たれます。
長英さんは3日後の帰獄期限を過ぎても帰らず全国指名手配人物になったわけです。
その時の逃亡途中に広島の日渉園でかくまわれていた!というわけ。
かくまった後藤松軒さんもこの事がばれていれば重罪となっていたでしょう。
当然、蘭学に興味を持っていた広島藩医者=後藤松軒さんは華岡青洲(1800年前後の有名な外科医)の医薬局名=春林軒の『軒』の字をもらって名付けられたのかもしれません(独断偏見気まぐれ広島人説)。
私は華岡青洲の口伝書である『瘍科方箋』という本を30年前、神田の古本屋で買い求めました。
弟子によって筆記されたこの医学書は文政7年(1824年)に伝写されたと記されて
います。
まさにシーボルトが来日して鳴滝塾を開いていた時!
高野長英がオランダ医学習得に寝食を忘れ勉強していた!その時期に重なります。
夕日の射す日渉園には珍しい植物が一つ!イラクサ科のツルマオ→が芽を出していました。※高野長英はその後、江戸で捕われ自害したと言われています。46歳でした。
※歴史的な医学史は前広島大学学長・原田康夫先生の講演を参考にさせていただきました。
※筆者も長い通信使に、つい学がほとばしり出てきまして学術通信使に格上げしなければいけないかもしれません。
↓でも時にはこんな息抜きをしているんです。
http://www.clever-cuckoo.net/mahjong/3pmjnews.html