●はーい!皆様!お盆休みも終わりましたね。
いかがお過ごしになられたでしょうか?
私ごとながら四国は高知県・越智町・横倉山に行ってきましたよ!
もちろん一人で!
仕事も家族のことも忘れての二泊三日の独身旅行でした。
●予てからヨコグラノキ↓(実のアップ画像)という樹木は牧野富太郎氏によって横倉山で発見され命名された!と言うことを聞いていました。
クロウメモドキ科のこの植物は広島で帝釈峡と深山でニ〜三度見たことがあるだけでした。
先日、NHKで横倉山の植物のことが放映されました。
その中で牧野博士によって発見され世に知れるようになったヨコグラノキが現存していることを知りました。
発見されたのが1884年ですから今から約120年も前の話ですね。
私は是非この木を見てみたい!という衝動に駆られましてネットで探しました。
有りましたね。『横倉山ホームページ』という頁が↓・・・
この中でメール担当と『川と山・ふるさと夢の会』をお世話しておられる山中伸一さんに連絡がとれました。
山中さんの紹介で『横倉山自然の森博物館』の創設と運営に携わっておられる山地亮孝先生(ヨコグラノキの前で私と)を紹介していただきました。
これは幸運でした。
植物のことはもちろん、横倉山に関する化石・昆虫・地質・地域の歴史など広範囲な話しに驚いた次第です。
山地先生は14日の全一日を、私の為だけに横倉山の案内に費やしてくださいました。
印象に残った主な植物を紹介しましょう。
ナンカイサラサドウダン・テツカエデ・ヨコグラノキ・バリバリノキ・アカガシ・ツルシキミ・ミヤマシグレ・アズサ・イワシデ・ヒメバライチゴ・トサジョウロウホトトギス・ハナビゼリ・トサボウフウ・イチョウシダ・イワキンバイ・オオキツネノカミソリ・サカワサイシン・ナンカイアオイ・ヤハズハハコ・ヒナシャジン・シコクママコナ・マツラン・ヒメノヤガラ・アオフタバラン・セッコク・ナツエビネ・カモメラン・アケボノシュスラン・ミヤマムギラン・ミヤマウズラ・コオロギラン・シモバシラ・ミツバテンナンショウ・アオテンナンショウ・オオハンゲ・マムシグサ・ヨコグラツクバネ・イチヤクソウ・キジョラン・ヤマジオウ・ガンクビソウ・ニシノヤマタイミンガサ・モミジガサ・クサヤツデ・イナモリソウ・クサアジサイ・ナベワリ・・・・
ここで見るものすべて新鮮で胸がわくわくしました。
特にヨコグラノキの大木と実、コオロギランの花、それにヒメノヤガラの花が見れたことはお盆休みをこの地で3日間、過ごした甲斐が有った!というものです。
3日間?そうなんです!13日午後に越智町に到着しまして同じ宿屋に二日お世話になり、15日も一人で横倉山に登ったんです。山地先生とご一緒した14日にはコオロギランがまだ出たばかりの蕾だったんです。
どうしてもコオロギランの花(アップ)が見たい!この一心で15日も横倉山に登りました。
物好きな人間と思いますか?
100年前にタイムスリップしたらきっと山道で牧野富太郎先生に出くわしていたでしょうね!
そしてこんな会話をしていたかもしれません。牧野:『あんた!こげんなところで、なにをしちょるん?どこのお方かね?』
私:『広島から来ました!コオロギランを見たくて!』
牧野:『何でコオロギランのことを知っとるの?』
私:『マキシノヴィッチ博士から聞いたんです!』
牧野:『・・・・・・・・・・・・・・・・』牧野博士といえば5円のものを10円で買った!という話しから分かるように金に全く無頓着な人だったと聞きます。
貧乏を苦にせず?家族の方々は苦労したことでしょう。
私の漢方の師匠・大塚敬節先生もこの土佐の出身です。
牧野先生は越知町の隣、佐川町の出身!当時としては経済的に恵まれた酒屋の息子と聞いております。
大塚先生も東京では同郷の牧野博士と親交があったと聞いています。
大塚医院の玄関には横倉山で化石を掘り当てて越知町を世界に知らしめたナウマンの横書き墨書がありました。
んーん!いろいろと繋がりが分かってきて懐かしいです。
高知の五台山公園には牧野富太郎植物園があり先年、大塚敬節先生の胸像が碑文と共に建立されたと聞きます。
15日にはそこに行く予定でしたが横倉山の生の魅力にはかないませんでした。
その甲斐もあってかコオロギランが一輪だけ杉林に小さな花を咲かせていました。
本当に充実した盆休みでしたね。感謝感激・・また横倉山に行きたいと思っています。※マキシノヴィッチ=ロシアの植物分類学者・牧野氏が植物の同定と命名の指導を受けた人
※コオロギラン=1889年、横倉山にて昼食中に同行の吉永という人が見つけ牧野氏がマキシノヴィッチ氏に報告。学名をマキシノヴィッチ、日本名を牧野が命名。
※ナウマン(Edmun nauman)=ドイツの地質学者・明治のはじめ来日し全国を調査。各地で化石を収集。ナウマン象の命名者。
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