類聚方広義・第二木曜会  2008・4・10

●今日は類聚方広義六頁後半の桂枝去芍薬湯から、七頁前半の桂枝加葛根湯まで進みました。
六頁後半 桂枝去芍薬湯より
標註                                       類聚方
弁脈方に曰く。脈来たりて数、時に一止す。復来る者を、名づけて促と曰う。
下後、脈促胸満の者、発汗疎利を歴し、大勢去ると雖も、表症未だ全除せず。故に仍ほ上衝胸満し、爽快ならざるなり。是は固より軽易の症
にて、故に去芍薬湯を用いるなり。微悪寒する者は、汗下の後に、精気未だ復せざるなり。芍薬甘草附子湯症と相似て、而して猶表症有る者なり。故に去芍薬加附子湯を以って、余蘖(ゲツ=ひこばえ)を芟夷(サンイ)し、将息して以って精気の旺を待つのみ。(七頁前半初め)
桂枝去芍薬湯
桂枝湯證にして、拘攣せざる者を治す。
桂枝湯方内に於いて、芍薬を去る。
桂枝、大棗、生姜、各九分、甘草、六分、右四味煮て桂枝湯の如くす、
「太陽病、之を下した後、」脈促胸満の者、桂枝去芍薬湯之を主る。若し微悪寒する者は、去芍薬方中加附子湯之を主る。
為則按ずるに、拘急せず。故に芍薬を去るなり。


頁後半解説

標註                                       類聚方
弁脈方には結脈と促脈について記載されています。
疎利とは大まかに下痢をさせるという意味。
芟夷(サンイ)とは賊を平らげることで草を刈り取るという意味。
将息とはしばらく様子を見てという意味。
桂枝去芍薬湯の加味方には桂枝去芍薬加麻黄附子細辛湯、桂枝去芍薬加蜀漆竜骨牡蠣湯、炙甘草湯などがあります。



頁前半 桂枝加葛根湯より
標註                                       類聚方
痘瘡の初起にて軽症の者、此の方に宜し。起脹貫膿の際、桔梗・黄耆などを加える。収靨以後は大黄を加えて、以って余熱を解し、残毒を駆えば、則ち眼患や痘癰等の厄有ること無し。麻疹の初起にて軽症の者も、亦之を主る。
成無巳の曰く、儿音は殊、頚を引くの貌。儿は、短羽の鳥なり。短羽の鳥の、飛騰能わざる、動けば則ち先ず其の頚を伸引するのみ。項背強ばる者も、動けば亦之の如し。程応旄の曰く。儿儿は、俯仰(フギョウ)自序ならざるの貌。按ずるに、素問刺腰痛論に曰く、腰痛脊を侠(挟)んで痛み、頭に至って儿儿然と、儿儿の義、以って見るべけんや。(七頁後半初め)
桂枝加葛根湯
桂枝湯證にして、而して項背強急する者を治す。
桂枝湯方内に於いて、葛根四両を加える。
桂枝 芍薬 大棗 生姜 各六分 甘草 四分 葛根 八分
右六味、水一斗を以って、先ず葛根を煮て、二升を減じ、上沫を去り、諸薬を内れ、煮て三升を取る。滓を去り、一升を温服す。覆って微しく汗に似たるを取り、粥を啜るを須いず。余は桂枝湯の如くす。

「太陽病、」項背強ばること儿儿、反って汗出で悪風する者、(七頁後半初め)


 

七頁前半解説
標註                                         類聚方
痘瘡とは天然痘のような化膿性疾患でしょう。
収靨とは腫れが引いて少し凹むこと。
儿=シュ、几=キ、
侠=おとこだて、

●吉益東洞の弟子に肥後の村井大年がいます。
大年は東洞から教わった腹診を自分なりにまとめ「腹診配剤録」を著しています。
その桂枝去芍薬湯の部分がありましたので載せてみましょう。
腹診配剤録   西肥 村井大年
赤い枠内の訳↓  吉本

註=訳には間違いもありますので指摘下さい!
●先月の桂枝加桂枝湯の標註で「奔豚」について解説した部分がありました。
今月、狩野充徳先生の御好意で「奔豚」について引用された「文選=もんぜん」の解説部分を提示していただきました。
引用文献は「文選・文章編 二」と題します。
昭和49年当時、広島大学文学部教授でした小尾郊一先生が著されたものです。
なお、文選につきましては広島大学中国文学語学研究室のホームページをご覧下さい。
狩野充徳先生の係わるホームページでもあります。

桂枝加桂枝湯の本文


文選より   馬融の長笛賦  ケイ康の琴賦  解説部分↑


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