平成19年9月13日(第二木曜日)

9月13日を初回として類聚方広義の輪読を始めてゆきます。
先は長いかもしれませんが宜しくお願い致します。
吉益東洞先生の類聚方は今から約250年前に著されますが100年後、類聚方の義を広めるためにと尾台榕堂先生が類聚方広義を刊行します。題言十則を書いた武とは榕堂先生の師匠(尾台浅岳)の子=武雄のことです。師匠=浅岳は6歳の武雄を遺して若死にしますが故あって小杉榕堂が尾台家の跡継ぎとなり武雄を自分の長男として育てます。武雄は若干25歳にして類聚方広義の題言十則を嘉永六年(1852年)に書きます。吉益東洞から三代後の弟子にあたる尾台榕堂に至までの系譜を紹介してみます。
この系譜は昭和48年に大塚敬節先生から聞いたものです。
上の系譜の中に峯少翁という名前が出てきます。吉益東洞の萬病一毒の説や彼の第一弟子の峯少翁、村井琴山(大年)などのことが書かれた富士川游先生の日本医史学綱要(昭和8年)を見てみましょう。
一部、誤字、簡略字は赤い字で訂正しておきました。

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